「あっ……覚明」
彼女は思わず、彼方(かなた)の部屋へむかっていった。
「覚明っ、お止めしてください。お師さまが」
太夫房覚明は、この事件を大事にした発頭人(ほっとうにん)と皆から叱られていたのである。
そのために、彼は、叡山から報復に来る者があっても、一切顔を出すなといわれ、一間(ひとま)のうちに、恐縮して首をすくめていたのだ。
――きょうもその相手が来た。
さっきからがんがん呶鳴っている戸外(おもて)の声を、彼もそこで聞いていたのである。
腕がうずくくらいなものだ。
彼としては、飛び出して行って、自己の鉄腕ですっぱり解決してしまいたいことは山々だったが、これ以上争いに油をかけることは、裏方の心を傷(いた)めるだけでもよくないとじっと我慢していたところなのだ。
そこへ――
「覚明、お止めして」
と、玉日の声が聞えたので、
「あっ」
何かと驚きながら板縁を駈け出してゆくと、師の善信が、出あいがしらに、奥の一室を出てきたのであった。
「しばらく」
覚明はひざまずいて、善信のたもとをとらえた。
「――私が追い返します、大事なおからだをもって、あのような乱暴一てん張りの荒法師に、お会い遊ばすことは要りませぬ」
玉日も、おののきながら、良人の足もとへ来て止めた。
「どうぞ、性善坊と覚明のふたりに、おまかせおきくださいませ……。もしお怪我(けが)でもなされては」
しかし、静かに、善信は微笑した。
「おことらこそ、さわがしい。わしが会うのは、相手の知識や人物を計ってではない、ただ、いささかのゆき違いがあっても、お師の上人にかかわること。人まかせには致し難い。――案じるな」
踏みしめてゆく跫音は荒くないが、背には信念と、つよい性格が見えるのである。
止めて止まる人でないことを覚明は知っているので、そのまま、不安そうな眼を光らして板縁に坐りこんでいた。
――すでにその時は、応対に出ている性善坊も持てあましていた時だった。
五、六名の荒法師は、例の大薙刀(おおなぎなた)を掻(か)い込(こ)んだのや、大太刀を横たえたのが、ごうごうと呶鳴るだけでは足らないで、性善坊の腕くびをつかみ、一人は今にも、草庵の板の間へ、土足を踏みかけて中へ躍ろうとしていたところ。
「お。……これは」
と、落着きはらった主人の姿をその咄(とっ)嗟(さ)に見たので、
「やっ、出てうせたか」
法師たちは、一応身を退(ひ)き、その殺伐(さつばつ)を好む眼ざしを一斉に彼へあつめて、
「嘘つきめ」
「いるではないっ」
「なぜはやく面(つら)を見せんかっ」
いわしておいて、善信はその間に円座をとり寄せ、入口のわきの広(ひろ)床(ゆか)へ、客の敷物もめいめいに配らせて、
「上がられい」
と、慇懃であり、あくまで物静かである。
そういう作法や鄭重(ていちょう)は、暴客たちにはかえって苦手である。
赤いまばら髯(ひげ)の中から、熊鷹(くまたか)のような眼をひからせている大法師が、拳(て)を振って、善信の冷静を打ち砕いた。
「馬鹿っ、ふざけるなっ。さような悠長な話で来た吾々ではない、事は、山門の体面にかかわるほど重大なのだ。おぬしの首をもらうかも分らない。ここで、罪状を申し聞かすから答弁してみい」