浄土真宗の本堂には、なぜ余間に聖徳太子の掛け軸がかけてあるのですか?

聖徳太子は今から約1400年前の方で、「十七条憲法」をお作りになられたことなどでよく知られています。

その「十七条憲法」の第二条に

「篤く三宝(さんぽう)を敬え。

三宝とは仏法僧(ぶっぽうそう)なり」

と仰せられ、さらに

「それ三宝に帰(よ)りまつらずは、なにをもつてか枉(まが)れるを直(ただ)さん」

と言われています。

仏・法・僧の三宝をよりどころとして生きてゆくとき、はじめてねじ曲がった私どもの心を正しく直してゆくことができるのだとおっしゃったのです。

仏さまのみ教えを聞くことでお互いに自らの姿を省みて、我執(がしゅう)を少しずつでも慎んでいくことで家庭が治まり、町や村が治まり、国が治まり、世界に平和をもたらす根源になるとお考えになられたのです。

聖徳太子は正しい法を心のよりどころとし、それを指針として生きていくなかで、人々の和やかな集いというものを社会の中に実現していこうとされ、わずか31歳の若さで「十七条憲法」をお作りになられました。

もっとも戦前までの「大日本帝国憲法」とか現在の「日本国憲法」といったような憲法とは性格は違います。

直接的には当時の朝廷に仕える官僚たちの心得というものであったようですが、同時に、そこには時代をも超えてすべての日本人の心得として通用するような普遍的な真理が示されています。

そのような聖徳太子を親鸞聖人はご自身の著書の中で

「和国の教主(きょうしゅ)聖徳皇」(日本のお釈迦さま)

と讃えられました。

聖徳太子が私たちの国に仏教を取り入れてくださった、いわば日本仏教の父というべき方でもあり、親鸞聖人は日本仏教のお釈迦さまだと讃えられました。

ちなみに親鸞聖人は聖徳太子を讃えられた「和讃」と呼ばれる歌を200首ほど作られています。