皆さんは、「門徒もの知らず」という言葉を聞いたことはないでしょうか
門徒とは浄土真宗の在家の信者の方のことを言いますが、言葉の通りに解釈すると、浄土真宗の信者はものを知らない、つまり世間の常識を知らないということになってしまいます。
実際にそのような意味に使われていたようですが、この言葉、実は元々、「門徒物忌み知らず」と言われていたものが略されて、「門徒もの知らず」になったと言われています。
「ものを知らない」ということではなく「物忌みを知らない」ということです。
「物忌み」というのはバチやタタリを畏れ、それを避けることを言いますが、実は浄土真宗の教えから言えば、その行為こそが全くの迷信・俗信だと言えるのです。
本来の「門徒物忌み知らず」とは、迷信俗信にとらわれない浄土真宗の門徒の生き方を示した言葉であり意味だったのです。
「物忌み」と言われるものは、数えるとキリがないくらいあります。
例えば「大安」「仏滅」「友引」といった、日の良し悪しをいう、「六曜」というものがあります。
カレンダーなどにもよく記載されているので、皆さんもよくご覧になるのではないでしょうか。
結婚式は大安に行い、仏滅は避ける。
友引には葬式をしてはいけない、といったことです。
友引に葬式をしないのは、亡くなった方が親しい友を引っ張っていくからというのです。
これは友引という字が、「友を引く」と書きますから、そのように解釈したのでしょうが、全く根拠のない迷信です。
また、ほとんどの結婚式が「大安」を選んで行なわれますが、必ずしもすべての夫婦が幸せになっているとは限りません。
皆さんのまわりにもそうは言えない方もいらっしゃるのではないでしょうか。
この六曜は中国の占いから生まれたもので、そもそも仏教の教えとはなんら関係のないものなのです。
また、中国でも現在はほとんど使われることのない占いなんだそうです。
少し考えればすぐに分かることですが、日に良し悪しなどあるわけがないのです。
私たちにとって、今日という一日は後にも先にもない、たった一度きりの一日であり、もう二度と同じ日はありません。
そして、大事なことは、かけがえのないこの「いのち」を精一杯輝かせて生きていく、そんな一日にしていくことです。
物忌みは、方角の吉凶、手相、占い、まじない、厄払い、祈祷等々、数え上げればキリがありません。
そのすべてが迷信俗信のたぐいです。
親鸞聖人は、こうした迷信俗信に惑わされている人々を悲しまれ、すでに800年以上も前に
『悲しきかなや道俗の良時・吉日えらばしめ天神地祇をあがめつつ卜占祭祀つとめとす』
というご和讃を作られています。
これは、「悲しいことに、今時の僧侶や民衆は、何をするにも日の良し悪しを気にしてみたり、また天の神、地の神を奉り、占いやまじないなどの迷信にかかり果てている」という意味です。
人間の根元的な迷いは昔も今も変わらないということを、私たちに教えてくれているのではないでしょうか。
お念仏のみ教えは、これからも、私たちのを照らし、導き続けてくれるものなのです。
お念仏のみ教えに出遭い、根拠のない迷信や俗信に惑わされたり、不安になることのない命を日々精一杯にすごしてくださればと心から願います。