教育者であり、仏教を生涯のよりどころとされた東井義雄先生が、著書「おかげさまのどまんなか」の中に、病気で倒れた息子さんのことを記しておられます。
小学校の教師であられた息子さんが、体育の時間に子どもたちと一緒に走っている途中で倒れ、一命は取り留めたものの意識は戻らないまま、人工呼吸器を施して156日が過ぎました。
その時に、倒れられた当日のことを振り返ると、それは「行ってらっしゃい」「行ってきます」と言葉和交わしてからわずか一時間半くらい後の出来事で、「一寸先は闇」ということばを思い出し、気がついてみれば「諸行無常」は仏さまの切実な教えだったが、それを上の空で聞き流し、「形ばかりの見送りをしていた私を知らされた」と仰っておられます。
また著書の中で、息子と一緒に走っていた子どもたちが、息子は倒れる前「胸に手を当てて走っていた」と教えてくれた。
心臓がきっと何らかの異常信号を発してくれて、仏さまもきっと「休息しろ」と、必死の思いで警告してくださったのだろうと思う。
でも息子は、「これくらいのことは・・」と、「信号無視」をしてしまったのでしょう。
因果の道理は、仏さまでもお曲げになることはできないのです。
「生まれる」というタネまきをなさった以上、お釈迦さまでも「死」をお避けになることはできないのです。
「信号無視」をしてしまった結果は、それがどんなに厳しいことであっても息子が背負うしかありません。
自分がつくった荷は、どんなに重くても自分で背負うしかないのです。
『大無量寿経』の「身みずからこれに当たる代わる者あることなし」のお諭しが、身にしみてくださいます。
「私たちの人生は、誰に代わってもらうこともできないし、代わってやることもできないのです」と述べておられます。
野村康次郎さんの詩に「雨」という詩があります。
雨はウンコの上にも落ちなければなりません
イヤだといってもダメなんです
誰も代わってくれないのです
厳しいようですが、これが私たちの「いのち」の現実の姿です。
縁あってこの世に生まれた私は、生老病死、諸行無常の中にいかほどの苦しみや痛み、悲しみや難儀に遭っても、代わってもらうこともできないまま、そのすべてを背負って生きていかなければならない(生死の苦海)のです。
だからこそ、そんな私を「必ず救う」と阿弥陀さまはおっしゃっておられるのです。
いやそんな私だからこそ阿弥陀さまにしか私を救える方はいらっしゃらないのだと頂けるのです。
親鸞聖人は和讃でこのようにお示しくださっています。
生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば
弥陀弘誓のふねのみぞ のせてかならずわたしける