果てしなく貪り求める心は、満足できないということですから、そのような心からき
「足るを知る」
という思いは出てきません。
現代という物が豊かで、便利で、快適な時代に身を置いて生きている私たちの心の中は、果たして
「足るを知る」
という生活につながっているでしょうか。
563年前、室町幕府の管領として権勢を振るい、応仁の乱の東軍総大将でもあった細川勝元が建てた禅寺の
「石庭」
で有名な京都竜安寺があります。
15個の石を無造作に5カ所に配置した枯山水の庭です。
石は15個置かれているのですが、どの角度から庭を眺めても14個しか見えないように設計されていることで有名です。
ただし、一箇所だけ15個すべてが見渡せる場所があるのだそうです。
その竜安寺の茶室の入り口に
「知足(ちそく)の蹲踞(つくばい)」
と言って、手や口を清めるための手水(ちょうず)をはっておく石があります。
丸石の中央に水を溜める口の字があり、
「吾唯知足(われ・ただ・足るを・知る)」
の4文字が刻まれています。
これは、たとえ石庭の石が14個しか見えなくても、不満に思わず足る心を持ちなさいという仏教の教えを、水戸光圀公(水戸黄門)が石に刻んで寄進したと伝えられています。
物の氾濫する時代を生きる私たちですが、果たして満ち足りた思いの中で生活しているでしょうか。
もしかすると、まだ足りないと言いながら、不足の思いの中で日々の生活を繰り返して生きてはいないでしょうか。
冷蔵庫の中はどうなっていますか。
最小限必要なものがあれば、それで良いですか。
それとも、せめて半分くらいは埋まっていないと不満ですか。
あるいは、冷蔵庫の中は、常に物が満ちていっぱいでないと安心できませんか。
冷蔵庫の中が常にぎっしりと詰まっていると、いったい何を入れたのか忘れてしまうということがあります。
しかも、その揚げ句に食材を腐らせてしまうようでは
「不足の生活(足るを知らない)」
になっていると言われても返す言葉もありません。
「足ることを知る生活こそ、本当の心豊かな生活と言えるのではないでしょうか。