そういう中で『生きる者の記録』という連載が始まったんです。
現代の医学にも見放された時、秋田の山中にある玉川温泉というところをみんなに勧められたもんですから、「馬場ちゃん、行く」
て言ってきました。
あそこは放射線や地熱が岩盤から出るんですよ。
その熱の所にガンで痛んだところを当てておくといいということでね。
実際良くなった人もたくさんいるんですよ。
これが自然の不思議さですね。
科学の世界では分析できない世界が大自然の中にあるんですよ。
そして、健さんが亡くなる五日前に次のように話をしてくれました。
「馬場ちゃん、阿弥陀がすぐそこまで来ている。来迎で有り難いね。おれが行かんでも迎えにきてくださる」と。
この言葉は実感から出てきたものです。
しかしその後すぐ意識不明になって、亡くなっていかれました。
健さんが亡くなった後、宮崎の私の兄から「おい昭道、健さんから手紙を頂いた」という電話がきました。
佐藤健という男はめったに手紙を出さんので、何事かと思って兄に「ちょっと読んでよ」と言って読んでもらいました。
手紙自体は亡くなる三カ月ぐらい前のものだと思います。
兄が健さんにマンゴーを送ったので、そのお礼を兼ねてのものでした。
「南国の香りありがとうございました。
『阿弥陀の来た道』を書きながら、阿弥陀へ行く道となり、限りある命となりました。
今さらながら、わが身の勉強不足を悔いております。
残された命を深めたいと思います。
亡くなってからでもお世話になることです」。
これが彼の最後の手紙でした。
本当にいろんなことを教えてくれた友人でした。
会うたびに「馬場ちゃん、本当の坊主してるか」なんて、とんでもないことを言う人でした。
でも最後は阿弥陀さまに遇って、南無阿弥陀仏の中で亡くなっていきました。
お葬儀の時は、参列者から「よくがんばった」という拍手が起りました。
出棺も数人が運ぶのではなくて、参列者が二列になってみんなでずらしていきました。
佐藤健さんは、いろんな人と出会う中で何が大切かということを、みんなに伝えていった人でした。
皆さんも限りある命ですよ。
怪我したら血が出る、頭打ったらコブが出る…間違いなく自分の命ですけれども、だからといって自分の思い通りになるかといったらそうではない。
自分の思うようにならない命を背負って、お互いが出会いを積み重ねています。
その時に友だち同士、親子兄弟、すべての出会いが「別れを前提とした出会いでした」と頂くのが、南無阿弥陀仏の心を頂くということではないでしょうか。