今、生かされている実感を ■十億に十億の母

 二つ目は「これしかない」ということ。

暁烏敏さんの詩に次のような詩があります。

「十億の人に十億の母あらむもわが母にまさる母ありなむや」

十億人間おったら、必ず十億のお母さんがいる。

たとえ二十億であろうが、五十億であろうが、わが母にまさる母ありなむや。

わが母にまさる母ありなむやというのは、私の母は、この人しかないんだということです。

十億あろうが、二十億あろうが、この人だけが私の母なんだということなんです。

広島に はらみちを さんという絵描きさんがおられます。

はらさんは、小さいときに、小児麻痺を患われまして、足腰が不自由なんです。

いつも車椅子の生活で、手も自由に動かない。

ところが、お母さんが厳しかった。

手に職をつけさせようと色々なことをさせた。

やがて中学へ間もなくという時期に、絵を描くことに興味を持ちだしたそうです。

そして、一心不乱に描かした。

二十五・六の頃には、筆一つでどうにか生計が立つようになってきた。

その人の絵というのは、風景であろうが動物であろうが、必ずその絵のどこかにお母さんがいるんですよ。

お母さんがいかにこの私を育て、慈しみ、離すことなく見守り続けてきたことか。

それを、身を通して知っていらっしゃる。

そのはらさんがたまに旅行をなさることがある。

その時出かけてみて、母の姿が見えなくなったとおっしゃっています。

十億の人に十億の母あれど、どこ行ったって同じお母さんが山のようにおる。

母であるベき大事なものが今、どんどん失われている。

同じ顔の同じこころみのお母さんが沢山おる。

違うという人もいはるかも知れませんが、確かに見えなくなったということば言えるのではないでしょうか。

(続く)