彼が亡くなる半年前だったか、痛みが激しくて食欲がなくなってきました。
まだ死を受け入れる前ですよ。
ガンで命があと一年から二年とはっきり言われ、日本を代表する東大外科の先生によって肝臓の手術をすることになったんです。
『阿弥陀が来た道』という連載の取材中ですよ。
すごいエネルギーですよ、あと一年か二年で死と言われたのに…。
実は健さん、その手術の前に、先生に次のように言ったんです。
「先生、私はもう一回シルクロードに行かなければならない。もし手術をして行けないのであれば、私は手術をしません」と。
そしたら先生が、
「佐藤さん、行けるように手術をしますから。ただし、いくら回復しても前の体力の六割から七割と思ってください」。
それで健さんは再度「行けますね」と確認してから手術して行ったんです。
シルクロードから帰ってきたら、奥さんから「食欲がない」と電話がかかって来たので、私は我孫子で一番おいしいうなぎ屋さんに行って、温かいうなぎを買って持って行ったんです。
もう食欲がないというのは分っているのに…。
そしたら奥さんに「おい、ご飯ついで」と言って、小さめの茶碗につがれたご飯に蒲焼と汁をかけて食べるんですよ。
食欲がないのに「わざわざ持って来てくれた」と言って食べるんですよ。
それで「馬場ちゃん、ほら食べたぞ」と。
それくらい細心に男でした。
食べ終わったら、ぼろぼろ泣き出してね。
初めてでしたよ、私の前で泣くのは。
それこそ一カ月前までは、夜中だろうと何だろうと死が怖いから電話がくるんですよ。
『宗教を現代に問う』などいろんな記事を書いている。
やがて死ぬということも知っていた。
生老病死も知っている。
三法印「諸行無常・諸法無我・涅槃寂静」も知っている。
仏教の言葉もいらんというほど知っている。
ところが夜中に電話が来るんですよ。
四十分も五十分も話すんですよ。
二日に一回。
同じ事を話してね。
やはり知識と智恵は違うんですよ。
知識でいくら覚えとってもだめ。
いくら仏さんの教えを知識で学んでもだめですよ、智恵でひっかけていかないと。
自分の血と肉にならんと知識は邪魔する。
それを教えてくれたんです、彼は。
そして、これと同じ亡くなる半年前でしたが、
「馬場ちゃん、僕にはもう未来がない。将来がない。間違いなくあと一年以内でいなくなる。もう連載のことを考えんでいいと思ったら、こんな気楽なことはない」
と言ってきたんです。
いつも一つの連載が終わりかけたら、もう次の連載の勉強をしていましたからね。
その男が、「馬場ちゃん、将来がない、未来がないということは、こんなに気が楽なこととは思わんかった」と。
そして健さんは
「僕は悔しくて悲しくて泣いているんじゃない。担がなきゃならん荷物を降ろしたら、こんなに気が楽になるとは思わんかった」と。
「ああ健さんよかったね」
と言って、二人でずっと泣いていました。
健さんは泣いた後、いっしょに行った当時高校二年生の私の四男を見つけて
「あんたのことを言っているんじゃないよ。勘違いせんでね。あなたはまだ十七歳、これからたくさんの将来と夢がある。おじちゃんはもう一年以内で死んでいかないかん。だからあなたは何をしても無駄じゃないから」
と言っていました。