ご講師:馬場昭道さん(千葉県・真栄寺住職)
皆さん、それぞれいろんな出会いの中で年齢を積み重ねておられると思います。
その出会いは、悲しいことあり、苦しいことあり、喜びありと、いろんな出会いがあると思うんです。
「ちょっといい出会い」とうことは、なにも楽しいことや、おいしいものを食べた、そのようなものじゃないんです。
いろんな悲しみを振り返ることによって、悲しみが深ければ深いほど、それが喜びに変わったり、苦しみが深ければ深いほど、自分が生きていく力に変わったり、そういう出会いの積み重ねの中で今の私があり、皆さん方があるわけであります。
私の親友であった佐藤健という男は、日本を代表する天才肌の記者でした。
亡くなってから彼の連載を思い出してみたら、大変な連載をたくさんしているんです。
若い頃マウンテンゴリラを取材した時も、ゴリラに名前をつけて、「今日も会いに来たぞ」と言って毎日少しずつ近付いていく男でした。
四メートルまで近付いてゴリラの取材をしましてね。
そして、その後『宗教を現代に問う』という連載で菊池寛賞を受賞しております。
これが三十歳ちょっとの時です。
彼が宗教を現代に問うと言って仏門に入り、頭を剃って禅宗のお坊さんとして「今、宗教は私たちの生き方の中にどう生きているのだろうか」ということを取材したものです。
この後『もうひとつの西遊記』という記事の取材で、私は健さんと出会ったんです。
『もうひとつの西遊記』というのは、毎日新聞で西チベットへ仏教遺産の調査行った時のことを九十何回連載したものです。
この時私は、今住んでいる我孫子市ではなく、生まれ故郷の宮崎県にいたんです。
ちなみに、健さんはほとんど会社に出社しておりません。
ただ、自分の仕事に関しては、他人にものを言わせないくらい仕事をしました。
本当にすごい取材をする方でした。
取材の前には電話で情報を収集したり、本を読んだりと、非常に勉強していくんですよ。
そして等身大で勉強して、等身大でものを考えて、等身大で取材する男でした。
だから、誰とでも友だちになる男です。
彼が亡くなる前の三カ月間、病院に見舞い客が千人以上来ました。
奥さんの知らない人ばっかり。
お年寄り、子ども、同窓生…、痛いのに苦しいのに、見舞いに来た一人ひとりに対して、ベッドを起して相手していくんです。
これが命を早めましたね。
でもそこにあるのは何かと言いますと、それは『宗教を現代に問う』で学んだ慈悲心です。
仏様の心、仏さまの智慧を学んでいたから、大変な記者なんですけれども思い上がりがない。
ともすると、出会いの上においては、地位とか名誉とか権力とかが邪魔になります。
ところが、誰とも同じ視座で取材できたのは、やはり彼が若い頃に仏教の教えを連載していて、いろんな人と出会っていたからだと思います。
彼はこういう生き方を最後までした男でした。