扉の中で見つけた「生活の記録」

 長らく開けていなかった棚の中を整理しようとして扉を開くと、その中に毎日の宿題だった「生活の記録」や作文などが納めてありました。

それらを手にとって読みながら、当時の様子を懐かしくふり返りました。

家族の日常、友人との出来事など数多くのことが綴られていて、今でも忘れられないこと、読み返して「あ〜!そうだった!」と思い起こすことなど、色々なことがよみがえってきて、読んでいるうちに、時間が巻き戻って、まるで当時の家族や友人、そして自分自身と会っているような気がして嬉しく思いました。

そういった、たくさんの思い出の中の一つで(もちろん「生活の記録」にも書き記していています)、今でも友人と会うたびに話題にする事件と言うべき出来事があります。

それは、私が小学2年生で、雨がよく降っていた時期のことでした。

連日の雨続きで、海に置かれたコンクリート面には海苔が生えていました。

その事件のあった日の天気は、雨の予報でした。

私は傘を持って学校に行ったのですが、帰る頃には晴れていたので、傘は閉じたまま手に持って歩きました。

友人と二人で帰っていたのですが、ふといつもの帰り道では少しつまらない気がして、その日は道路としては整備されていない海岸沿いの箇所を通って帰ることにしました。

そのルートには、途中、高台から海までコンクリートで固められた斜面を通らなくては進めない場所があります。

その斜面には、等間隔で横幅120?ほどの溝が作ってありました。

その溝は、手すりなどなく、何もつかまるところもありませんでした。

しかも溝には、連日の雨で立派に育った海苔がたっぷりと生えていました。

そのような場所を先ず友人が進み、その後を私はついて歩きました。

何歩か行ったあと、友人は海苔に足をとられ、まるで滑り台に乗っているかのようにそのまま海まで落ちて行きました。

私も、友人に続くかのように海苔に足をとられ、溝を滑って海に落ちてしまいました。

つるつるのコンクリート面だったにもかかわらず、どうやって海から這い上がり陸までたどり着いたのか、海に落ちた後の記憶は定かではありません。

友人も「どうやって助かったのか記憶はないけど、その後、二人ともびっしょり濡れたまま家まで帰ったよね」と、いつも話しています。

友人は、その日おろしたての傘を海に流してしまったそうです。

とても怖い目に遭ったのに、なぜかあの日海から見た、斜めに高くそびえ立つコンクリートの景色は今までも忘れることができません。

海に落ちて何もつかむものがなくて心から焦っていた時、「このまま死んでしまうかもしれない…」と思ったことがあまりにも強烈だったので、その時の光景がセットになって脳裏に焼きついて離れないのかもしれません。

今では、懐かしい「思い出」の中の一つとして、笑いながら口にしていますが、悪条件が重なれば溺れ死んでいたかもしれないのですから、本当に大変に出来事だったと言えます。

子どもの頃の宿題だった「生活の記録」が、今は読み返すとその頃の色々な記憶を呼び覚ましてくれる大切な手がかりとなっています。

棚を整理するために開けた扉の中で見つけた「生活の記録」。

捨ててしまうと、その頃の記憶まで消えてしまうかもしれないので、また棚の中に大切に納めておくことにしました。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。