ご講師:小川 一乗 さん(大谷大学学長)
今の人は科学的に知識をいっぱい頭の中に詰め込んで、頭の中が知識でグジャグジャになっている。
だから極楽にいくって言ってもわからない。
つまり知識がじゃましてるんです。
ちょうど蓮如上人の五百回の法要があった前の年に、私がNHKの「宗教の時間」で、蓮如上人のことを中心とした仏教の教えについてお話したことなんですが、蓮如上人がお書きになられた、東本願寺では『御文(おふみ)』、西本願寺では『御文章(ごぶんしょう)』と言いますが、その第五帖目の第二通に
『それ、八万の法蔵をしるといふとも、後世(ごせ)をしらざる人を愚者とす。たとひ一文不知の尼入道なりといふとも、後世をしるを智者とすといへり』
とあります。
これは現在の私たちのことを言っていますね。
五百年前のこととちがうんです。
『それ、八万の法蔵をしる』、頭の中に仏教の知識をいっぱい詰め込むということです。
今の子どもさんでいえば、幼稚園からめちゃくちゃ頭の中に知識を詰め込まれていることです。
知識を詰め込むことが教育だというふうに、いまだにその間違いが直ってないんですね。
土曜日を休みにしたら時間が足りないとか言いますけど、知識を詰め込むだけだから時間が足りないにきまってるんですよ。
知識なんか今の半分でよろしい。
あとは知恵を教えなきゃいかん。
知恵を教えないで知識ばっかり詰め込むから、頭の中がグジャグジャになってオウム真理教なんかにはしってしまうんです。
人間として、自分のいのちを尊いいのちとしていただいて生きていくためには、知識なんかあんまりいらないです。
だからそれを『たとひ一文不知の尼入道なりといふとも、後世をしるを智者とすといへり』とあるのは、「自分のいのちのあり方がはっきりいただけている人を智者、頭の中にどれだけ知識を詰め込んでも、いのちへの目覚めのない人は愚者なんだ」というふうに蓮如上人は言っておられるんですね。
これはまさしく現代のわれわれの姿を言っておられるのではないでしょうか。
そのように、私たちは死というものが、いのちを得れば極楽にいくに決まっているじゃないかという、極めて単純明快な事柄がわからなくなっちゃった。
だから人間は知識をいっぱい学んで、頭の中に知識を詰め込めば利口になるかといったら、違いますね。
知識が増えるほど愚かになる。
知識ですべてを解決しようとするから愚かになるんですね。
人間の知識なんてたかが知れとるんです。
それを全面的に頼りにするからおかしくなってくる。
知識さえたくさん身に付いたら、人間は利口になって何でもできるなんてとんでもないですね。
ますますわからなくなる。
今のアメリカを中心とした世界の動きをみたら、いっぺんに何万人も殺せるような兵器を作る知識があっても、知恵がないんです。
だから世の中めちゃくちゃになっている。
知識の中に埋没して、知恵を忘れたのが今の人類だと言っていいと思います。