「浄土真宗では『般若心経』はよまないのですか」

これは、よく聞かれることの多い質問の一つです。

「般若心経」

というと、よく知られているお経の一つですが、それがどのようなお経かというと、文字数は266字と短く、正式名称は

「般若波羅蜜多心経」

といいます。

「般若」

というのは真実を正しく見抜く智慧という意味であり、

「波羅蜜」

というのは悟りに到達する菩薩の実践行のことです。

お経の中で観音菩薩が、

『執着する心を捨て、こだわらない心をもてば「空」の境地が開ける。

これこそが真理であり、一切の苦しみを取り除く道である』

と説いておられます。

しかし、浄土真宗では、

『迷いに染まった私は、真実を正しく見抜くことも、執着する心を捨てて厳しい行を成し遂げて煩悩を消し去ることは不可能である』

と説いています。

自ら執着する心を捨てられるのであれば、誰もが悟りの道に至ることが出来ますが、果たして私たちに、無意識の内に起こる執着を捨て去ることが出来るでしょうか。

全ての人々を救いの対象とされている経典(「仏説無量寿経」)があるにも関わらず、それでも未だに救われることの出来ない凡夫にとっては、

「般若心経」

の教えでは自らの力では迷いを消し去ることが出来ないことは知り得ても、真の救いそのものを得ることは出来難いのです。

したがって、執着を捨て去ることの出来ない凡夫の救われる道は、ただ

「念仏せよ、救う」

と誓われた阿弥陀仏の本願念仏の一道以外にはないというのが浄土真宗の立場です。

浄土真宗では、親鸞聖人が『教行信証』に著された

「正信偈」

を日常の勤行として読んでいます。

朝夕「正信偈」

をお勤めすることにより、阿弥陀様の功徳と願い、その働きを讃えさせて頂きましょう。