ジャーナリストの池上彰さんは、社会問題をはじめ政治、経済、教育、宗教、科学、歴史など、多岐に渡る分野についての専門的な事柄を、テレビや著書等で「わかりやすく説明してくれる人」として脚光を浴びています。
私も、池上さんのテレビ解説を聞いたり著書を読んだりして、いわゆる「おとなの教養」を多く学ばせてもらっています。
9月2日、池上さんが
「月に一度朝日新聞に連載していた『新聞ななめ読み』の連載打ち切りを申し出た」
というニュースが報じられました。
この連載は、池上さんが一つのニュースについて各紙を読み比べ、その内容を自由に論評するというもので、8月末の予定稿では慰安婦報道検証を取り上げ、その中で『朝日は謝罪すべきだ』と述べていました。
それを事前に読んだ朝日新聞の幹部が『これでは掲載できない』と通告したところ、池上さんから『では連載を打ち切ってください』との申し出があり、その予定稿はボツになったというのが、ことの顛末です。
これまで、同連載の中で池上さんは
『朝日の記事は分かりにくい』
『天声人語は時事ネタへの反応が鈍い』
などの批評を掲載していたこともあり、「今回の反応は異常ですね」と述べています。
また、
「連載を打ち切らせて下さいと申し出たのは事実です。掲載を拒否されたので、これまで何を書いてもいいと言われていた信頼関係が崩れたと感じました」
と、連載中止申し出の理由を明かしています。
論評の対象となったのは8月5、6日に朝日新聞が掲載した慰安婦報道検証記事で、過去の記事が誤報だったことを認めつつ、謝罪が一言もないことがこれまで問題視されてきました。
その渦中に、池上さんの「謝罪すべきだ」という論評を封殺していたことが明らかになった訳ですが、このような態度をとったのでは、朝日新聞の言論機関としての見識が問われても仕方がありません。
案の定、池上さんのコラムが朝日新聞に掲載拒否されたことが報じられると、社外からだけでなく社内からも激しい批判が噴出しました。
朝日新聞では記者によるツイッターの活用を進めているのですが、末端の若手記者から管理職の幹部級の記者までが
「掲載した上で、異論反論があるなら、紙面上で堂々と意見をぶつけ合えばいい。言葉には言葉で、それこそ読者は読みたいはず。」
「もし本当なら言論機関の自殺行為だ。」
などと、「掲載すべきだ」と意見しました。
すると3日になって、池上さんの紙面批評コラムの掲載を拒否していた朝日新聞が一転して掲載を表明し、一度はボツになった原稿が9月4日朝刊の紙面に掲載されました。
掲載されたコラムの見出しは、「訂正、遅きに失したのでは」です。
その中で池上さんは、朝日新聞の慰安婦報道検証は不十分だと指摘。
「今回の検証は、自社の報道の過ちを認め、読者に報告しているのに、謝罪の言葉がありません。せっかく勇気を奮って訂正したのでしょうに、お詫びがなければ、試みは台無しです」
と、今回一度は掲載中止の要因となった言葉を続けています。
コラム本文の後ろには、今回のコラム掲載に関する両者のコメントが掲載されています。
朝日新聞側は、
「その後の社内での検討や池上さんとのやり取りの結果、掲載することが適切だと判断しました。池上さんや読者の皆様にご迷惑をおかけしたことをおわびします」
と、一連の対応を陳謝しています。
一方、池上さんは
「私はいま、『過ちては改むるに憚(はばか)ることなかれ』という言葉を思い出しています。今回の掲載見合わせについて、朝日新聞が判断の誤りを認め改めて掲載したいとの申し入れを受けました。過ちを認め、謝罪する。このコラムで私が主張したことを、今回に関しては朝日新聞が実行されたと考え、掲載を認めることにしました」
と、掲載に至った経緯を説明しています。
コラムが掲載されると、今度は
「厳しいけれど、いつもの『池上節』の範囲内だと思います。こういうことを書いていただくのがこのコラムの狙い、かつ人気の理由でしょう。『この内容では掲載できません』の理由がますます分からない」
と、当初の決定に対して、改めて批判をする声がみられました。
また
「『善意の批判』までを封じては言論空間が成り立ちません。度量の広さを示すチャンスをみすみす逃したばかりか、発信力のある書き手を『敵』に回してしまった。何重もの意味で『らしく』ない、もったいない対応でした。」
と、不適切な対応であったという指摘もありました。
社内にはこのように健全な良識ある声も見られるのですが、朝日新聞は、新聞社としては池上さんが指摘した「遅きに失した」「お詫びがない」という批判に過剰に反応し、一度は掲載を中止しようとしました。
その後、内外の批判に驚き一転掲載した訳ですが、今度は9月11日、東日本大震災発生時、東電職員の対応についても「吉田調書」を読み違えて誤った報道をしていたことを認め、謝罪会見を行いました。
その際に、「慰安婦問題」についても、初めて社長が謝罪の言葉を述べました。
『済みません』という言葉があります。
これは、言葉で謝っても、それだけでは済みにならないという思いから「済みません」というのです。
つまり、お詫びした上で、それを言葉だけに終わらせるのではなく、「今後同じ過ちを繰り返しません」という決意を述べているのです。
朝日新聞の誤報とその後の慰安婦キャンペーンが、日韓二国間の外交問題に発展し、円滑な国際関係を疎外し続けているのは紛れもない事実です。
その発端となる報道が「誤報」であったことを認めたのですから、「検証し、謝罪をしたからこの問題は済んだ」と片付けてしまうのではなく、何よりも誤報に至った経緯を解明し、問題点を根本から改善することに努めなければ、今後も同様の過ちが繰り返されてしまうのではないかと思われます。