小説・親鸞 岡崎(おかざき)の家(いえ) 2014年11月22日

それは、幾日かの謎(なぞ)だった。

しかもほのかに、女性のにおいの感じられる謎なのである。

陶器(すえもの)一つにも、身に着ける肌着の一針にも、絶対に、女性の指に触れないもののみで潔(けつ)浄(じょう)を守っている僧の生活なのである。

どんなに微かにでも、女(じょ)粉(ふん)に触れたものはそれを感じる。

なやましい移り香を感じる。

綽空は、その夜の具(もの)にくるまれて、この幾夜かを、ふたたび夢魔に襲われとおした――いや魔というべくは余りに和(やわ)らかい悩ましさである。

梨の花の甘い香(にお)いにも似ている、目連の肌理(きめ)の細やかな感触にも似ている、どうしても、この蒲(ふ)団(とん)の綿は、女手でつつまれたものである――女の真ごころのように綿が温かい。

若い一作寒僧には、余りに温かすぎるのだった。

しかし、謎は謎のまま、幾日かつい過ぎた。

そういう詮(せん)議(ぎ)だてさえしている遑(いとま)のないほど現在の綽空は、吉水の法門がその日その日の心の梁(うつばり)であった、張りつめていた。

その日は、どういうこともなく、信徒たちの集まりもなく、師の法然上人も不在でありするので、まだ陽の明るいうちに、めずらしく岡崎の草庵へ綽空は帰ってきたのである。

すると、草庵に近い松林の小(こ)径(みち)で、ひとりの被(かず)衣(き)の女に行き会った。

ちらと、樹(こ)の間(ま)にそれを見たとたんに、綽空は、どきっと、妙なものに胸をつかれた。

すぐ、常に抱いている謎へ、

(あの女(ひと)だ)という囁(ささや)きがのぼって、何か犯している罪に耳でも熱くなるような動(どう)悸(き)が打ってくる。

そういう軽い狼狽(ろうばい)を、綽空は、その女ばかりでなく往来でゆき会う女性にもよく覚えるのだった。

その度ごとに彼は、自分の道(どう)念(ねん)の未熟さを悲しむのであるが、二十年の行道も、新しく享けている易(い)行(ぎょう)道(どう)の法の慈雨にも、これだけはどうにもならないものを感じるのである。

そういう鍛えのある自分と、女にときめきを覚えさせられる刹(せつ)那(な)の自分とは、まったくべつな者のようにしか思えなかった。

(もし……)と、よほど、彼は、声をかけてみようと思った。

松落葉のうえを、音もなく歩いてくる女性は、ほかに避ける道もないので、彼の法衣(ころも)のそばを、そっと、摺(す)れちがって行こうとするのである。

が――女は、やや姿態(しな)を曲げてわざとそのようにその時被(かず)衣(き)を横にして顔をかくして通った。

で、綽空も、

(どこかで見たような?)思いつつ、ことばをかけずに行き過ぎてしまった。

十歩ほどあるいてから振向くと被衣の女も、ちらとこなたを見て足ばやに行ってしまった。

ふところから小鳥でも逃がしたように、綽空は心をひかれて、その影が、白河の河原の低い蔭になってしまうまで佇んで見送っていた。

*「梁(うつばり)」=はり。うちばり。ある組織を支(ささ)える中心的な存在。