最近とある方にご指導いただき、折り紙を折ることが多くなりました。
もちろんまだまだ技術的には未熟ですが、最初の頃に比べるとだいぶ上手に折れるようになった気がします(自画自賛)。
子どもの目の前で折ると喜ばれるのが、『羽の動く折り鶴』です。
しっぽを動かすことで両翼が上下に動くので、通常動くことのない折り紙のダイナミックな羽の動きに興味を示すようです。
折り鶴を折ったことのある方はご存じかと思うのですが、折る過程において、一度折り目をつけてから紙を広げて少し前の段階に戻すところがあります。
子どものまえでこれをすると、『なんで戻るの?間違えたの?』とか、『えー、きたなくなるー!(折り目がついて上手に折れていないと思う)』という声が聞こえてきたりします。
その時には『これはね、意味があるんだよ、あとでわかるから、ちょっとよくみてまっていてね』と言います。
なぜ折り目をつけるかというと、これは折り目をつけることによって、この後折っていく中で、その折り目があることによって、きちんと綺麗におることができる、その折り目があることにより、目印になる、という意味があるわけですね。
つまり、全く意味もなく折り目をつけているわけではありません。
子どもに『ほら、さっきつけたこの折り目があるから、こんなに綺麗に折れたよ』というと、そのことに感動した子どもは『うわー、すごーい』『こういうことだったのかー』と声をあげます。
折り目をつけて戻るということは一見無駄なようですが、とても大切な意味があるわけです。
私たちの『人生』はよく歩みにたとえられたりしますが、その場合、進むことが重要で、立ち止まったり、うしろにさがるということはよくない、マイナスであると言われたりします。
ですが、この折り紙の折り目のように、時には進んでから戻るということも大切だったりします。
私たちの生活の中にも辛いことや悲しいことはたくさんありますが、それは決して無駄なことではないと思います。
きっとそうやって人生にもたくさんの折り目がついていくことで、その折り目があったからこそ気づいていけることや乗り越えていけることもあると思います。
『いのち』には、無駄なことはどこにもない、そうやって、日々いただいた尊いいのちに感謝しながら、今日も人生の折り目をつけて、大切にすごしていきたいと思います。