法勝寺の山荘は閉まっていた。
昼は、信徒の参詣や、山と町の往来もあるが、夜は、この鹿ケ谷一帯が、一点の灯もない闇であった、海のようなうなりが樹々をゆすっている谷や峰つづきであった。
「住蓮、もう眠ろうか」
安楽房は、ちょうど衰えかけた榾(ほた)の火をみつめていった。
その榾の明りで、住蓮は書物を読んでいたが、根気をつめた背骨を伸ばして、
「む……更(ふ)けたらしいな」
「しんしんと、寒うなった」
「もすこし焚(た)こうか」
薪(まき)を加えると、炉はまた、赫々(あかあか)と炎をあげた。
煤(すす)で黒くなった天井が赤く映る。
「はやいものだな、この無住の山荘へ来てから、もう数年」
「その数年の間に、とにかく微力ながら、念仏門の一道場を、社会に加えたのだ、一枚の田を、開墾したのだ。それを思うと、おたがいに愉快だな」
「ウム、御仏も、おれたちの奉仕を嘉(よみ)してくださるだろう。――同時に、おれたちの生活も、今は、感謝と輝きに充ちきったものだ」
「こういう、憂いなき、安らかな感謝の一日一日を、どうかして、今の昏迷な埃(ほこり)の中にある実社会の人々たちへも、知らしめたい、頒(わ)けてやりたい。――おれはそればかりを思う」
「吉水の上人があの老躯をひっさげて、自身のご病気もわすれてなお、法(のり)のために、一日一日をおやみもなく遊ばしていらっしゃるお気持も、その願望にほかならない」
「上人のことを思えば、われわれはまだ安閑としていすぎるかも知れぬ」
「榾に暖(ぬく)まっているのも何か勿体ない気がするのう」
「励もう」
「ム。人を救うには、まずみずからをだ。――もすこしおれは勉強する」
住蓮が、また、書物を取り初めたので、安楽房も立って、暗い壇のまえに坐って、念仏の三昧に入った。
パチパチと、炉の火がハゼる音だけが聞えた。
時折、雨戸のふくらむような峰の風がぶつかってくるが、それの過ぎた一瞬は、死界のような静寂に返ってしまう。
ふと住蓮は眼をあげ、
「――安楽房」と、呼んだ。
「お。何か?」
「御本堂のほうの戸を誰かたたいておりはせぬか」
「そうか」
耳を澄ましていたが、やがて笑って、
「あれは鹿だよ、それ、いつかこの峰で、捕まえた白毛の鹿が、廻廊へあがって、何かいたずらしておるのじゃ」
「そうかしら」
しかし、またしばらくすると、こんどは二人のいる庵室のすぐ外に跫音(あしおと)がして、そこを叩く者があった。
「もしもし……」
初めて、二人は、
「や?どなたじゃ」
「ここをお開けくださいまし。お願いがあって来た者でござりまする」
女性(にょしょう)の声なのでいよいよ怪しみながら、
「どちらから?」
ためらって、こう訊くと、
「お目にかかってからお話しいたしまする。私たちは、御所のうちから来た者でございますが」
「え。――御所から?」
住蓮は、あわてて、そこの戸を開けた。