20数回目の父の命日を迎えました。
父と過ごした年月よりも、父が亡くなってからの年月の方が、はるかに長くなってしまいました。
ご門徒さんのお宅へお参りさせていただくと、よく
「お父さんと同級生だったんだよ」
「中学生の頃は、あの部活に入っててね」
「お父さんと野球チームが一緒でね」
等々、私の知らない父の話を聞くことがあります。
父の子ども時代の話を聞きながら、「あぁ、やっぱりお父さんの子だな〜」と笑いすらでてくる程、似ていることが多々あります。
私が父と過ごしたのはほんの数える程度。
父が亡くなって数年は、荒れていました。
いわゆるお寺の子、としていのち頂いたのにも関わらず、「神や仏も信じない」そう思っていた時もありました。
そんな私が今は僧侶として日暮をさせていただき、阿弥陀さまとのご縁を「ありがたいな〜」と思わせていただくようになるとは…。
あの当時の父は思いもしなかったでしょう。
一時は荒れた私ですが、阿弥陀さまとのご縁をつくってくれたのは、間違いなく父のいのちです。
父が健在であれば、手を合わせることも、ましてや僧侶となることも無かったように思います。
大切な人を亡くすことは、とても辛く悲しいこと。
私のように、荒れて荒れて荒れて…「神も仏も信じない」と思われた方もおられるのではないでしょうか。
でも私の手が合わさるようになったのも、阿弥陀さまとのご縁をありがたいと思えるようになったのも…何もかもが大切な父のいのちが縁となっていました。
今でも父のことを思い出すと、涙することがあります。
もう二十数年も経つのに。
そんな時にこそ、南無阿弥陀のお念仏に救われています