入院して気づいたこと

先月、本願寺鹿児島別院で午後から研修があり、受講するために昼過ぎに到着しました。

研修会が始まり、しばらくご講師の話を聴いていると、突然私の携帯電話が振動しました。

慌てて研修室を出て電話に出ると、家からの電話で、2件の要件を伝えられました。

1つ目はご門徒さんがお亡くなりになり、明日が通夜、明後日が葬儀ということ。

2つ目は、宮崎の親戚のお寺の前住職がお亡くなりになったということでした。

宮崎の親戚の方は、小さい頃からよくかわいがってもらっていた方だったので、通夜・葬儀にお参りしたかったのですが、私がお預りしているお寺のご門徒さんの通夜・葬儀と重なってしまいました。

そこで、電話をうけてすぐ、「その日のうちにご挨拶に行こう」と思いたち、研修会を途中で退席してそのまま宮崎へ向かいました。

その親戚のお寺に行くのは久しぶりだったこともあり、道程がおぼろげになっていたので、カーナビに住所を登録してから向かいました。

これまで、鹿児島市内からなら2時間くらいで着いていた場所なのですが、その日はカーナビの指示するままに走ったところ、最短距離に設定しておかなかったようで、だいぶ遠回りするルートを走ることになり、結局3時間程要して目的のお寺に到着しました。

ご家族の方が「朝まで普通に食事をしていたのに、急に容態が変わり、慌てて病院に連れっていったけれども助からなかった。ホントに今でも信じられない」と話されました。

そのお顔を拝見したのですが、ほんとにただ眠っておられるような感じでした。

故人とのそれまでの様々な出来事を思い浮かべながら、読経をさせていただいたことでした。

「諸行無常」の理を、その身を通してお伝え下さっておられる。

そのように受け止めたことです。

ご挨拶を終え、そのまま帰宅の途につきました。

その際、車に乗り込むときに腰に激痛が走ったので、「これはちょっとおかしいな」と思いながらも、鹿児島へと向いました。

運転中、ハンドルを回すたびに激痛が走ったのですが、高速道路もなんとか持ちこたえ、痛みをこらえながら自宅へと向かいました。

夜遅くに帰り着いて、腰の痛みを我慢しながら車から降りて家の中に入り、食事を食べ始めると、今度はなんだか気分が悪くなったので少し横になりました。

しばらく横になっていたら落ち着いたので立ち上がろうとしたのですが、今度は腰に全く力がはいりません。

仰向けの状態から横に体を倒すだけでも激痛がはしり、それでもなんとか立ち上がろうとしたのですが、自分の思うようには力が入らず激痛が走るばかりで、とうとう動くことさえできなくなってしまいました。

そこで、もうどうすることも出来なかったので、救急車を呼んで病院に運んでもらいました。

病院では、「椎間板ヘルニアによる急性腰痛症」と診断され、一週間程入院することを余儀なくされました。

その間、ご門徒さんの通夜・葬儀などは、隣寺のご住職にお願してお参りしていただきました。

もちろん、ご法事のお参りもできないので、そちらは妻(坊守)がお勤めをしてくれました。

病院の先生には「もう少し入院された方がいいですよ」と言われたのですが、お寺の法要も控えていたので、無理をいって早々に退院してしまいました。

この度の腰痛によって、自分の体を自分の意志で動かす事の出来ないという現実に直面して、愕然としたことでした。

これまで、当たり前のように、立ったり座ったり、走ったり歩いたりしていたのに、病気をすることによって、初めてそれが当たり前でないことに気づかされました。

また、入院中にお世話をしてくださった先生・看護師さんをはじめ、多くの方々にはただただ感謝の言葉しかありません。

さらに、入院中に通夜・葬儀を勤めてくださった隣寺のご住職、そして法事等々お寺や家のことを一生懸命してくれた妻や家族にも、心から感謝するばかりです。

この度の入院は、自分にとっては大変つらいご縁となりましたが、その一方で、病気になって改めて健康の大切さをしみじみと痛感したことでした。

日頃、健康で日常の生活をおくれていることが、決して当たり前のことではないことを気づかせていただき、同時にたくさんの方々のおかげさまのなかで生かされてある自分を見つめ直す尊いご縁となったできごとでした。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。