起立したままでお勤めしてもよいのでしょうか?

「起立したまま」、つまり「立った状態」でお勤めしてもよいのかどうかのお尋ねですが、お答えとしては「起立したままでも構いません」となりましょう。しかしながら、このご質問には、さまざまなお気持ちや状況が背景にあるように思われますので、ご一緒に考えてみたいと思います。

*日常的には着座して

日ごろは、やはりご家庭のお仏間であったり、お寺の本堂であったり、畳の上やイスをご準備して、「着座」や「着席」して礼拝(らいはい)の仏事をなさられていると思います。その方が「落ち着いて、ていねい」にお勤めができます。むしろ、「立った状態」では、落ち着かないように思われます。一呼吸、二呼吸といったほんの少しの時間でも、着座・着席して行うお参りが、敬いをあらわす作法にもなりましょう。

*起立して行う作法として

一方、時に応じて「起立」して行う場合もあります。立ったままでの合掌や揖拝(※1)、着座せずに行う「立ち焼香」、お墓の前での勤行などもございます。また、お寺での法要においては、ご本尊に向かって起立・立列(りゅうれつ)し、加えてご本尊を中心に右回り(時計回りに)歩行する行道(ぎょうどう)という作法もあります。あるいは、浄土真宗ではありませんが、禅仏教では「歩行禅」という修行もあるとお聞きます。

*たしなみ(エチケット)として

ご質問は「起立したまま」でのお勤めについての良否ですが、身体的に正座・着座が困難で、どうしても立ったままでのお参りをせざるを得ない方のお気遣い、仏前でのたしなみ(エチケット)についてのお尋ねとお聞きしたいと思います。先で述べました通り、「時に応じて」起立しての儀礼もございます。改めて申し上げることでもないのですが、大切なことは「恭敬(くぎょう)の心」(※2)に出遇うお参りをさせていただくことです。

また、お一人でなく、お寺の本堂などで、ご家族やそのほか多くの参詣の方がたとご一緒させていただく仏縁もございましょう。

私たちは、「南無(まかせよ)阿弥陀仏(われに)」(※3)の智慧と慈悲の仏さまをよりどころに、人生の歩みをともにする「御同行」(おんどうぎょう)のお互いとして、心静かに、心地よく、すがすがしく、自然体でお勤めをさせていただきましょう。


(※1)揖拝(ゆうはい)とは、「起立の姿勢で合掌せずに上体を約15度前方に傾けてから、おもむろに元の姿勢にもどすこと」をいいます。

(※2)親鸞聖人は、仏さまの心を、うやうやしく、つつしみ敬う心として「恭敬の心」と詠まれています。(『高僧和讃』龍樹菩薩)

(※3)「日々の暮らしと『歎異抄』」(本願寺出版社)