−医療現場の念仏者たち−(中旬)顔つきが変わる
「戸田さんよかったね」
と言うのは、実は戸田さんが良かっただけなんでしょうか。
このとき、重症室にはこの三人しかいませんでした。
三人が一つになって阿弥陀さまのお話を聞いていたんです。
今、戸田さんの命は、長い人生の最後のところにきている。
戸田さんの命の限界、医療の限界、科学の限界、人間の限界なんです。
私とトミちゃんは
「もう戸田さんを救ってあげることはできないの。
ごめんなさい」
としか言いようがない。
三人とも本当の限界を知ったんです。
本当の無力感の中で、阿弥陀さまの前に頭が下がりきったんでしょうね。
阿弥陀さまの大きなお慈悲の中で、日頃三人は
患者さんであったり、
看護士であったり、
医者であったりと、
そういう殻をかぶっておりますが、そのときはそんなものは全部脱ぎ捨てて、本当の一人ひとりの命そのままをむきだしにして、三人がそこにいたんだと思います。
阿弥陀さまの
『無条件で平等に救いたい』
という願いのおはたらきの場所が、お念仏のところです。
お念仏は呪文じゃありません。
阿弥陀さまがはたらいてくださっている場です。
そのことにトミちゃんは生まれて初めて出遇った訳です。
彼女が
「戸田さんよかったね」
というのは、実は戸田さんがよかっただけではなくて、自分の行き先が分かったんです。
「お浄土があったんだ、安心してよかったんだ」
と、初めてそこに大きな喜びと安らぎを見いだしたんでしょうね。
トミちゃんという人は、実は「ビハーラ」が大嫌いだったんです。
ところが、この重症室の出来事、たった三分かそこらですけど、このお話を聞くまでは、トミちゃんの思いは
「長いこと戸田さんと付き合ってきた。
家族よりも親しく、情がうつるほどに看護してきた。
この情の移った可愛い患者さんが、もう亡くなっていこうとしている。
どこにいっちゃったんだろう」
であったかもしれません。
それが一瞬にして変わった。
そのあと、トミちゃんがナースセンターに戻ってきてこう言うんです。
「先生、お浄土の話を聞いた時は、本当にうれしかったわ。
戸田さんがお浄土に行けるって聞いてたら、何か私が行けるっていうふうに聞こえてきて、胸がホカホカしちゃった。
先生、お念仏って理屈じゃないんだよね」。
そして
「お念仏しなきゃ助からないとか、拝めば助かるとかじゃないんだよね」
って言うんです。
嬉しそうに何回も目をキラキラ輝かせて、何も知らない他の看護士さんに一生懸命伝えようと思って、この話をしていました。
私が救われるということは、私がお念仏するよりも先に届いていたんだ。
つまり、阿弥陀さまが救いたいと願っていることの方が、私が救われたいと思うより先に、もう届いているんだっていうことです。
お念仏するしないにかかわらず、お浄土はもう私に向けて用意されてあり、私はそのまんま死んでいきさえすればいいんだというご縁を頂いている。
トミちゃんは、戸田さんの死という、そういったピンチに直面した時に、絶望のどん底から安心の世界へ一気に変わった。
お浄土があって良かったなぁとなった訳ですね。
最高の安心を頂いた訳です。
そして、心からホッとして、彼女もお寺参りをし、聴聞しながら本当に喜んで、ついには顔つきまで変わりました。