−医療現場の念仏者たち−(下旬) 安心の世界へ…
私の側には助かるための準備は何もいらない。
「私が救うがままに救わせてくれ」
と、阿弥陀さまの方が言っていらっしゃる。
それがお念仏するよりも先だったんだ。
このことに出遇ったとき、彼女にとって、
「人間に生まれさせて頂いて、本当によかったと思えるようになりました」
という言葉が、年賀状にほとばしり出たんじやないかと思います。
私の病院で『ようこそ』という新聞を出しております。
その新聞にトミちゃんが
「生きるということ」
という題名で手記を書いてくれました。
そこには、人間の常識を主に生きていこうとする生き方から、阿弥陀さまの常識の方へ変わっていくところがよく出ていますので、ご紹介します。
「私は病に伏す多くの人々を見て参りました。
人の歩みはみんな違うけれども、床に伏して生きようとするその姿は、人間として生きようとする姿そのものです。
あるとき、一人の重症患者さんがいました。
その顔は苦しみそのものでした。
幸枝先生が診察のとき
『阿弥陀さまがね、戸田さんを抱っこして連れていってくださるのよ。
私もあとから行きますので、お念仏しましょう』
とおっしゃいました。
私はそのとき
『先生、また始まった。
ナンマンダブツは死んだ人に言うもんだよ』
と、内心そう思いました。
先生が真剣に話されました。
戸田さんは素直に
『ナンマンダブツ。先生、有り難う』
と言われ、その顔は安堵に満ちていました。
私は自分も抱っこされていきたいような気分になり、戸田さんに
『安心できてよかったね』
と言葉をかけていました。
そのとき自分の脳裏をかすめたものは、
『先生、ナンマンダブツって理屈じゃないんだよね』。
数日後、戸田さんは安心の世界に旅立ちました。
看護士として多くの死を見てきましたが、初めて安心して死んでいくということを見せて頂きました。
それによって、生きることの意味に気付かされました。
『阿弥陀さまが抱っこしてくださっている』、
この言葉が私の心から離れず、いつしか人間に生まれてよかったと思えるようになりました。
すると不思議なことに、人間に生まれてきたんだから、ああしてみようか、こうしてみようかと、今までとは違った自分がそこにあることに気がつきました」
というようなことを書いてくれました。
人間に生まれさせていただいて、仏法を聴聞し、そしてご縁に出遇う。
これが最高の生き方で、そこからが本当の人間として生きることなんだと思います。
誰もが無条件で平等に救われていく、それを喜んで生きていくことが
「人間に生まれて本当によかった」
ということだと思う訳です。