『合掌する時に手をたたかない(音をたてない)のはなぜですか?』

合掌して手をたたくという作法は、

「拍手(かしわで)」

といい、神道の祭祀や神社・神棚など神さまを拝する際に行う作法です。

「柏手」

と書かれることもあり、また、

「開手(ひらて)」

ともいうのだそうです。

この作法は、手をたたくその波動で神様の霊力を呼び覚まし、周囲の邪気を祓いご利益を頂くという意味があるそうです。

合掌は、仏教のふるさとインドから伝わった礼儀作法です。

インドでは合掌して相手を拝むという作法が現在も普通に使われています。

これは、目上の人に対する最高の礼にあたるそうです。

この作法が仏教伝来とともに日本に伝えられたため、仏教徒に共通の仏さまを拝む作法となっているのです。

合掌は

「仏に帰命する」

という心が形に出たものです。

「帰命(きみょう)」とは

「仏の救いを信じ、身命を投げ出して従うこと」

という意味で、

「帰依(きえ)」

ともいいます。

その合掌の形がもつ意味については、いくつかのいわれがあります。

ひとつは、仏教では右手は仏の世界、左手は衆生界すなわち私たちの世界(私)をあらわしており、合掌することでひとつ(一体)になるといわれています。

また、いまひとつには、掌をあわせることで無防備・無抵抗を表し、平和そのものをかたどる姿であるともいわれています。

あとひとつには、心の中が一つの心で二心がないこと(仏を疑う心がないこと)を表しているとも言われています。

このようなことから、手をたたき合掌するのではなく、静かに手を合わせ合掌し

『南無阿弥陀仏』

とお念仏を口にすることが浄土真宗では大切だといえます。

なお、この念仏とは、すべての人を救いたいという阿弥陀仏の大悲の願いの躍動した姿そのものです。

阿弥陀仏という仏さまは、真実の救いを実現するために

「南無阿弥陀仏」

の六字となって、私のところに届いて下さるのです。

したがって、今こうして私たちの口からお念仏がこぼれ出るということは、まさに阿弥陀仏の救いのはたらきが私に届いた姿そのものだと受けとめることを

「信心」

をいただくともいいます。

正しいお作法をもって、阿弥陀仏の尊いみ教えをいただき、心豊かにすごしていきたいものですね。