粟田口の雑木の葉がすっかり落ちきって冬日の射す山肌に、塔の欄が赤く見える。
霜は、朝ごとに、白さを増した。
範宴少納言は、暗いうちに起きて、他の僧たちといっしょに、氷のような廻廊を、水で拭く、庭を掃く、水を汲む。
それから勤行の座にすわる。
やっと、南天の赤い実に、陽のあたるころとなって、厨(くりや)の一仕事をいいつけられる。
それが済むと、学寮に入って、師の坊の講義だの、僧たちの討論をきいて、やっと、自分のからだになって、机に坐るのが、もう午(ひる)であった。
「おいたわしい」
と、性善坊は、範宴のかわりに、水を汲んだり、拭き掃除をしようとしたが、他の僧に見つかると、
「ばか者、なんで寺へ入れた」
といわれる。
慈円僧正もまた、
「庇(かば)うことはならぬ」
と、叱った。
以来、見て見ぬふりをしているが、時折
「ああ手が腫れていらっしゃる……」
と、彼のあかぎれを見ても、胸が迫った。
こういう、世間なみの人情を、寺では、凡情とわらう。
もっと、ほんとうの愛をもてという。
「そうかなあ」
彼自身もまた、自身の勉強にせわしかった。
十二月に入ると初旬の三日には、慈円僧正が叡山にのぼるということを、範宴は、弟子僧から聞いた。
叡山の座主であり、慈円僧正の師でもある覚快法親王が、世を去られたために、その後にのぞんで、一山の大衆を導くことになったのである。
だが、慈円は、そんな身辺の変化が、明日にも迫っているとも知らないように、一室で、例の支那から渡来した茶の葉を、独りで、煮ている。
「お師さま」
範宴は、そっと手をついた。
「なにか」
「おねがいがあります」
「ほ……。菓子でもほしいか」
「いいえ、ちがいます。――お師様は、明日、叡山へおのぼりになると聞きました」
「うむ」
「私を、連れて行ってください」
慈円は、笑った。
「叡山を、知っているか」
「朝夕(ちょうせき)、ながめています」
「うららかな日は、慈母のように、やさしく見える。
だが、あのお山のふところには、どんな苦行があるか、それをおまえは知るまい」
「聞いています。修行は、苦しいものだと、皆さまが申します」
「でも、登る気か」
「一人では、ゆかれません。お師様のお供をしてなら、どんな、苦しいところへでも、従(つ)いてゆける気がします」
「もののふの戦よりも、もっと、辛いぞ」
「そういう、苦難とやらに、この身をためしてみたいのです」
「それほどに、決心してか」
「はい」
ぱちりと、範宴は、眼をみはっていった。
じっと、僧正を見つめていた。
うっかり、下ろした茶瓶のふたが、かたかたと、おどった。
そっと、火鉢から下ろして、
「よろしい」
慈円は、うなずいた。
それまで、恐いものの前に坐っているように硬くなっていた範宴は、
「ほんとですか」
よろこんで、小さい掌を、ぱちっと叩いた。