親鸞・登岳篇5月(8) 雪千丈

粟田口の雑木の葉がすっかり落ちきって冬日の射す山肌に、塔の欄が赤く見える。

霜は、朝ごとに、白さを増した。

範宴少納言は、暗いうちに起きて、他の僧たちといっしょに、氷のような廻廊を、水で拭く、庭を掃く、水を汲む。

それから勤行の座にすわる。

やっと、南天の赤い実に、陽のあたるころとなって、厨(くりや)の一仕事をいいつけられる。

それが済むと、学寮に入って、師の坊の講義だの、僧たちの討論をきいて、やっと、自分のからだになって、机に坐るのが、もう午(ひる)であった。

「おいたわしい」

と、性善坊は、範宴のかわりに、水を汲んだり、拭き掃除をしようとしたが、他の僧に見つかると、

「ばか者、なんで寺へ入れた」

といわれる。

慈円僧正もまた、

「庇(かば)うことはならぬ」

と、叱った。

以来、見て見ぬふりをしているが、時折

「ああ手が腫れていらっしゃる……」

と、彼のあかぎれを見ても、胸が迫った。

こういう、世間なみの人情を、寺では、凡情とわらう。

もっと、ほんとうの愛をもてという。

「そうかなあ」

彼自身もまた、自身の勉強にせわしかった。

十二月に入ると初旬の三日には、慈円僧正が叡山にのぼるということを、範宴は、弟子僧から聞いた。

叡山の座主であり、慈円僧正の師でもある覚快法親王が、世を去られたために、その後にのぞんで、一山の大衆を導くことになったのである。

だが、慈円は、そんな身辺の変化が、明日にも迫っているとも知らないように、一室で、例の支那から渡来した茶の葉を、独りで、煮ている。

「お師さま」

範宴は、そっと手をついた。

「なにか」

「おねがいがあります」

「ほ……。菓子でもほしいか」

「いいえ、ちがいます。――お師様は、明日、叡山へおのぼりになると聞きました」

「うむ」

「私を、連れて行ってください」

慈円は、笑った。

「叡山を、知っているか」

「朝夕(ちょうせき)、ながめています」

「うららかな日は、慈母のように、やさしく見える。

だが、あのお山のふところには、どんな苦行があるか、それをおまえは知るまい」

「聞いています。修行は、苦しいものだと、皆さまが申します」

「でも、登る気か」

「一人では、ゆかれません。お師様のお供をしてなら、どんな、苦しいところへでも、従(つ)いてゆける気がします」

「もののふの戦よりも、もっと、辛いぞ」

「そういう、苦難とやらに、この身をためしてみたいのです」

「それほどに、決心してか」

「はい」

ぱちりと、範宴は、眼をみはっていった。

じっと、僧正を見つめていた。

うっかり、下ろした茶瓶のふたが、かたかたと、おどった。

そっと、火鉢から下ろして、

「よろしい」

慈円は、うなずいた。

それまで、恐いものの前に坐っているように硬くなっていた範宴は、

「ほんとですか」

よろこんで、小さい掌を、ぱちっと叩いた。