『独生独死独去独来』(仏説無量寿経)
「人は、たったひとりで生まれきて、たったひとりで死んでいく。」
これは、『仏説無量寿経』の中にある、お釈迦さまのお言葉です。
人間という存在の絶対的な孤独ということをお示しになられているように思います。
私たちはこの世に家族があり、仲間がいて、大勢でにぎやかに生きているように思っていますが、どんなに大勢の人に囲まれても人間は本質的にひとりぼっちなのかもしれません。
みんな、たったひとりで生まれてきて、たったひとりで死んでいく。
人生とは大勢いる中でひとりぼっちになったわけでなく、もともとひとりぼっち同士がたまたま縁あって集まり、連帯しているにすぎないのでしょう。
だからこそ、お互いがそれぞれの立場や違いを越えて、共に認め合い尊敬し合うことの大切を教えてくださっているように思います。
しかし、私たちのこの社会は、あらゆる物事を自分中心にとらえて争いをおこし、欲望・怒り・ねたみに、心と身体を自他共に悩ませ、実に様々な問題を生み出し、抱えています。
自死、差別、いじめ、環境、原発…。
それら様々な問題に対して私たちは、関係ある事、無いことと区別してしまいがちですが、同じ社会に生きる私たちにとって、社会の問題、出来事はすべて私も含めた関係性の中にあるという視点を私たちは大切にしなければならないと思います。
人間としての尊厳を奪われ、長きにわたり部落差別という理不尽かつ厳しい差別を受けてこられた方が、
「これだけの厳しい差別を受けてきても、われわれの先祖は生き抜いてきた。そのような中でも生きていける強さを人間はもっていると思う。それはその差別と共に闘い、耐え抜いてきた仲間がいたからだ。しかし、そんな強さをもつ人間も、孤独の中で生きていく事は非常に困難なことなんだよ」
と語られた事がありました。
今、さかんに
「絆」
という言葉が使われる現代ではありますが、その背景には孤独を感じておられる方がいかに多いかという事でもあるのでしょう。
自分ひとりで生きている、そのもの一つで成り立っているいのちなど何一つありません。
「すべては関係性の中で、お互いに相支え、相支えられつつ生かされている」
という縁起によるいのちの見方を仏教では大切にしています。
人は決して一人では生きられません。
この私の
「いのち」
は、空間的にも時間的にも思いも及ばない程の多くのものに支えられ、連帯し合って存在しています。
その「いのち」の真実に気づかされ、自他共にいのち認め合い尊敬し合うことに目覚めたよろこびが
「おかげさまで」といえる世界であると思います。