「ロケット打ち上げの秘密」(上旬)色あせないロケット打ち上げの感動

ご講師:園田昭眞さん(JAXA宇宙輸送プログムラSE室特任担当役)

ロケットとはそもそも何か。

ロケット戸は、宇宙に人工衛星などを運ぶ輸送機、船や飛行機と同じ運搬手段なんです。

人や物が乗らなければ単なる打ち上げ花火と同じです。

今回打ち上げられるイプシロンロケットも、火星や金星を観測する探査機を飛ばすためのものなんですよ。

ロケットの打ち上げに90〜100屋円かかりますが、人工衛星は150〜200億円もかかります。

ロケットが飛ぶ仕組みは非常に単純で、燃料を燃やしてできる燃焼ガスを吹き出して飛んでいきます。

だから、いかにしてうまく噴射の方向を定め、力強く出すかがロケットの仕組みになる訳です。

そのガスが噴出する力を「推力」といい、これがロケットの性能の決め手になります。

日本のロケットは液体酸素と液体水素という非常にエコロジーな燃料を使っていますが、実はロケット全体の重量のうち、約90%は燃料で占められていて、ロケット全体は、積載する人工衛星などを含めても1割くらいの重さしかないんです。

そして燃料を使っていくにつれて、どんどん軽くなりますから、その分スピードも速くなる訳です。

宇宙に行くためにはそれだけ燃料が必要になるということですね。

また、ロケットを飛ばすにはたくさんお金もかかりますが、他にも覚悟が必要になってきます。

現在でも100%完璧な安全性は確保できていませんから、宇宙飛行はいのちがけなんです。

種子島での打ち上げの歴史は小型ロケットから始まりました。

そして次に打ち上げたのがN−1ロケット。

このときに人工衛星「きく1号」を打ち上げています。

ロケットはその後どんどん大型化しまして、H−2ロケットとなっていきました。

N−1ロケット打ち上げは1975年ですから、もう35年以上前になります。

私は最初の小型ロケット打ち上げのころから種子島にいましたが、やはり私自身のロケット打ち上げの一番の思い出は、このN−1ロケットで人工衛星「きく1号」を上げたときですね。

それまでロケットの打ち上げといったら、斜め方向に打ち上げるものでしたから、まっすぐ打ち上げるN−1ロケットの時は、本当に上がるのかなと、理屈では分かっていても不安だったんです。

やはり人間というのは不思議なものですよね。

それでゆらゆらとロケットがゆっくり上がっていくのを見たときは、涙がポロポロ流れたのを覚えています。

やはり、1号機を上げるときが一番苦労しましたから、今でもその時の感動は色あせていません。

そういうロケットの打ち上げから、今の大きいロケットまで流れてきています。

そうしてN−1ロケットから、現在のH−2Bロケットにつながってくるんですが、実は最初のN−1ロケット、N−2ロケット、H−1ロケットのときは、アメリカから技術導入したものを打ち上げていたんですよ。

なぜかというと、日本は終戦後、航空技術の開発についてアメリカから制約を受けていたので、新しい技術が全然なかったんです。

それで、きちんとしたロケットを作るために、まずはベースの部分を勉強しようということで、アメリカから技術を導入して、早くそれを習得しようという方針の下で動いたんです。

それが、今のロケット開発につながっているという訳です。