峰阿弥がたり 2014年6月4日

「オ、最前の琵琶法師どのか」

「あなたは、範宴僧都(そうず)でいらっしゃいますな」

「そうです」

「よい所でお目にかかりました。ちと、話したいと思いますが」

「私に」

「いけませんか」

「なんの、どうせこうしている折です」

峰阿弥は寄り添って、

「私の今夜の琵琶は、お聞きづらかったでございましょう」

「そんなことはない、興に入って聞いていた」

「いや、そうでございますまい。盲人の勘にはわかります。また、自分の撥(ばち)にかけている糸の勘でもわかります。今夜の主客は、時々そら耳になっておいででした。食らえども味を覚えず、聴けども音をわきまえず、そういう空虚(うつろ)を時々あの席で感じたのでございます。これは、私の弾(だん)じる琵琶の技(わざ)が足らないかと思って額(ひたい)に汗をして語りましたが、やはりそうではありません。芸味はすべて聴くもの聴かす者が一体になった時に神(しん)に入ります。あなたのお気持が、時々ぷつんと糸のきれたようにどこかへ離れて行く。――どこへ行くのであろうと私はひそかに心で探っていました。すると、私のいた左側から留(とめ)木(き)の薫(かお)りがぷうんと漂ってまいります。あなたは確かに玉(たま)日(ひ)様に心を奪(と)られていたに違いありません」

「……」

範宴はぎょっとして盲人の窪んだ眼を見直さずにはいられなかった。

何とずばずばとものをいう法師だろうか、いやそれよりも怖いような六感の持主ではあるまいか。

範宴は、足をもどしたくなった。

すると峰阿弥は、

「おかけなさいまし」

と、築山の裾(すそ)にある亭(ちん)の柱を撫で、そこにある唐製(からもの)の陶器(すえもの)床几(しょうぎ)をすすめた。

「どうぞ」

何か、抑えられているようで拒(こば)まれない。

峰阿弥は自分も腰をおろして、

「ありがちなことでございますな、私なども……」といった。

そして、しばらく回顧的な面持ちを傾(かし)げていたが、

「実は、わしも、元からの琵琶法師ではありません、これでも以前はしかるべき寺院におり、仏典にも一心を没し、南都の碩学(せきがく)にもつき、自身苦行もいたして、禅那(ぜんな)の床(ゆか)に、求法(ぐほう)の涙をながしたものでござりましたが、ちょうど、御房ぐらいな年ごろでござった。ふと、半生の苦行を女一人に代えてしもうてな、女犯(にょぼん)の罪に科せられ、鞭(むち)の生傷を負って寺を追われましたのじゃ。それ幸いと、加古川の辺りで、その女と、女の死ぬ年まで暮らしましたがの、さて、過ぎ越し方をつらつらと憶(おも)うに、女ある道、女なき道、どう違いがあろうか、有るとしているのは仏者のみではございませんか。――それ、一路を難行(なんぎょう)道(どう)といい、一路を易(い)行(ぎょう)道(どう)という。おかしい」

峰阿弥は独りでわらう。

そして話も独り言のように、

「わしが眼をつぶれたのを見て、世間は罰(ばち)だというが、わしの身にとってみれば、黒い浄土じゃ、安心の闇ともいえよう。眼が明いているうちは、なし難い道を踏もうとし、踏み辷(すべ)っては悶(もだ)えたが、今では、すべてが一色の盲目、坦々(たんたん)として易行道をこうして歩いていますのじゃ……ははは」

※「神(しん)に入(い)ります」=神わざのようにすぐれていること。「入神のわざ」「技、神に入る」などという。

※「留木(とめき)」=香木をたいてその香りを衣服や髪に移すこと。また香り、香木のこと。とめぎとも。

※「難行道(なんぎょうどう)」=他力によらないで、自力による修行で、さとりに達する方法。聖道門。

※「易行道(いぎょうどう)」=阿弥陀如来の願力にすがって極楽に往生する教え。