峰阿弥の顔に、一(ひと)ひらの落花(はな)がとまった。
手で払いのけながら、
「思うても御覧(ごろう)じ、どうして、この始末のわるい人間が生身のまま化仏(けぶつ)できよう。あのまま寺にいて、僧正になっていたのと、加古川の片田舎で女と暮らしたあげく女に死にわかれて、盲目(めしい)の芸人となって、座興の席を漂白(さすろ)うてあるく今の境遇と、どちらがよいかは分からぬが、わしは、決して、後悔はしていない。――すこしも現在に不満と迷いはない。身を難行苦行の床におき、戒律(かいりつ)の法衣(ころも)に心をかためていた時よりも、かえって、今の身の方が仏身に近い気持がいたすのは一体どうしたものでしょうな。年のせいとばかりは考えられません。まだまだ、眼こそ見えぬが、これでもまあ、女性(にょしょう)の側(そば)にいればわるい気はしない男なのですから」
範宴は一句の答えもし得なかった。
しないでも峰阿弥は問わず語りに喋(しゃ)舌(べ)りつづけるので気づまることはないが、余りにも怖ろしい話だった、というて耳を蔽(おお)おうとすればかえって自身を偽(あざむ)く気もちが自身を責める、忌(いま)わしいようで真があり、醜いと感じながら自分にもある相(すがた)だった。
「ははは、破(は)戒(かい)僧(そう)のくり言は、これくらいにしておきましょう。そこで、御房のお考えはどうあるの?……仏教も近年はずっと進んできたようですから、御房のような新知識から、わしらは学びたいと思うているがの。黒谷の法(ほう)然(ねん)上人など、なかなかよいことを申されるそうな、北嶺(ほくれい)の駿(しゅん)馬(め)といわれる聖光院範宴どのの女性(にょしょう)に対してのお考えをうかがいたいものじゃ。あるいは、戒律についてのご信念でもよろしい……」
意地悪く追求するのである。
範宴には当然今日まで血みどろになって築いてきた信念の砦(とりで)があった。
厳(いわ)根(ね)のように堅固に、あらゆる心機をここに征服するだけの備えもかたまったつもりであるが、なぜか、この一盲人の極めて平俗な問に対して、きっぱりと、邪弁の下を断(た)ってみせるような言葉が胸に出てこなかった。
「また、自分のことに回(かえ)るが、わしが御房の年ごろには、畏れ多いが、仏陀(ぶつだ)の御(み)唇(くち)も女に似て見え、経文(きょうもん)の宋(そう)文字も恋文に見えた。夜が待ち遠い、秘密が慕わしい、抑止(とどめ)ようとかかっても、血は、鉄の鎖(くさり)も断(き)る――。そんなふうであったものじゃが、御房のような秀才はちがうものでございましょうかな、あの無言の山、冷たい寺の壁、そこにそのお体を封じこめて、なんの迷いも苦しみも覚えませぬのかの。……ないとは申されますまい。その覚えのないような人間になにができる。釈尊もまた一度はくぐられた焔(ほのお)ではありませぬか。女魔(にょま)、女魔、焔(ほのお)の踊りをする女魔にとりつかれたような覚えはございませぬかの」
僧侶が念慮しても罪悪といわれることを、この盲人は掌(てのひら)へのせて差し出すように平気でいう。
範宴は胸苦しくなった。
「法師っ」
「はい」
「おん身は一体それを聞いてどうしようというのですか」
「べつに……」
と、峰阿弥は首すじを伸ばして下を見た。
「……どうするということもございませんが、あなたさまに、後でお渡しいたす一品(ひとしな)をさるお人からお預かりしておりますので、事のついでに、うかがって見たまででございまする」
※「北嶺(ほくれい)」=南山(高野山)に対する比叡山の別称。南嶺(奈良の興福寺)に対する比叡山延暦寺の別称。