小説・親鸞 恋愛篇 吉水夜話 2014年10月28日

「念阿どの」と、こんどは心寂から攻めた。

「他人のことばかり仰せられずに、ちと、あなたのことも、話していただきたいものじゃが」

「いや、わしにはなんの話もない。――それよりは、蓮生(れんしょう)殿こそ」

と隣にいる蓮生房の顔をのぞいた。

治承、寿永の戦いに幾多の生死の下を実際に歩いてきた熊谷次郎直(なお)実(ざね)の話を、同房の人たちはよく彼の口から聞きたがった。

だが、蓮生は、

「は、は、は、は」

もう白(しら)髪(が)まじりのまばらな髯の中で、坂東武者らしい大きな口をすこし開(あ)いて笑うだけだった。

いつも、こう笑うのが、彼の答えなのである。

でも今夜は、それに少し言葉をつけ加えて、

「この年になって、何の戦(いくさ)ばなし、お恥かしいことでおざる。てまえも、ここの上人にお目にかからぬうちは、いっぱしわれも坂東侍の強者(つわもの)と、大人びた豪傑気どりを持っていたものでおざったが、ひとたび、発心(ほっしん)して、念仏門に心の駒をとめてからは、回顧のことども、すべて児戯のような心地かするのでおざった。

なんといわれても、冷や汗が出申すのじゃ」

といった。

つつましく、数珠(ずず)を爪(つま)ぐっていた禅勝が、

「なかなかおゆかしい」とつぶやいて、

「蓮生どのは、あのように謙虚には仰せられるが、わたくしが、法然上人の教義というものを初めて存じ上げたのは、まったく、蓮生どののお手引きでした。永年の間、天台の古学にも救われず、秋葉の蓮(れん)華寺(げじ)に、ただ老(お)い朽(く)ちる私であった所を、そのころ、一筋に浄土門へ入って、名も恋(れん)西(せい)と申されていた熊谷入道どのにふとお目にかかり、吉水にかかる上人のおわすと聞いて、一(いち)途(ず)に都へ上ってきたのでございました。もし入道が熊谷の帰途に、私の寺にお立ち寄りくださらなかったら、あるいは、私は生涯ここで有(う)縁(えん)のよろこびを皆さまと共に味わうことができなかったのではないかといつも思うことでござります」

と、感謝していった。

綽空は、黙然(もくねん)と、人々の話を聞いていたが、ことに、熊谷蓮生と禅勝の話には、心をひかれて、

(自分にも、もしあの朝、安居院(あごい)の法印と四条の橋で会わなかったら……)

と今さらに、その時の機縁に対して、掌(て)を合わせずにいられない気がする。

奥で、咳声(しわぶき)がきこえた。

「お目ざめか」

上人の気配は、室を距(へだ)てていても、すぐ弟子僧たちの胸にうつった。

この寒気に、この間のうちから喉(のど)を傷められているふうなのである。

「お寝(やす)みを障(さま)たげてはならぬ」

「お煎薬をわかそうか」

思い思いに、人々は、炉のそばから冷たい室へちらかって行った。