そのときにまた教えてくれました。
「お花をよくご覧なさい。
仏さまにお供えしてあるお花だけれども、本当に仏さまにお供えするのであれば、お花は仏さまの方を向いていなきゃいけない。
でも、お花はお前の方を向いている。
白い花には白い色にしかない美しさがあって、黄色には黄色にしかない輝きがあって、赤い色には赤い色にしかない尊さがある。
青色、黄色、白色、赤色、それぞれがそれぞれに輝いていて美しい。
だから、お前のいのちも、おじいちゃんのいのちも、おばあちゃんのいのちも、お父さんのいのちも、お母さんのいのちも、それぞれが、それぞれに大事なんだ。
誰とも代わることができない、代わりようのない、大切ないのちを頂いているということを、このお花でもって、お前に教えてくださっているんだよ。
お前は誰の代わりでもない。
誰と代わることもできない、大事な佳乃だよ」って言ってくれたんです。
涙がいっぱいこぼれました。
その後、「私は言わなきゃいけない」という思いで、おばあちゃんと女人講のおばちゃんたちに、おじいちゃんから聞いたことを一生懸命お話したんです。
それでもおばあちゃんは変わりませんでした。
「違うわよ。佳子からもらったの」って言うんです。
でも、私はちっとも心が揺れませんでした。
なぜなら、おじいちゃんの話を聞いたとき、私のお腹の中に、仏さまの教え、宗教というものの要がスッと備わったからです。
だから「違う」と否定されても、私はビクともしませんでした。
そして、その後、みんなよりずっと遅かったけれど、小学校5年生の夏休みに補助輪付きの自転車を買ってもらいました。
何度も何度も転んで、おばあちゃんが「やめて、やめて」って言う中、自転車に乗れるようになりました。
そして、その冬、初めて雪の中に身を置くということを味わいました。
振ってくる雪を口に入れてみると、雪はとっても冷たいんです。
でも口の中でホワっと溶けて、口の中が温かくなって、「生きているんだ」って実感させて頂きました。
誰の代わりでもない、誰と代わることもできない、大事な阿弥陀さまの佳乃だよということ、そのことが備わったからでございました。