何を隠そう、私も始めは同じ考えだった。
告知すると育子が可哀そうだ、とうのが一番の理由であったが、決してそれだけではなかったようだ。
言わない方が楽なのだった。
言わなければ育子は落ち込まず、今までどおり家の仕事をしてくれる。
子供たちの面倒を見てくれる。
したがって、私の生活はそのまま続いていく。
言ってしまったら、常に育子のことを考えていなければらない。
自分の生活のリズムに支障をきたす。
それがいやだったのだ。
難しいことはなるべく考えたくなかった。
その場、その場で考えればいいではないか。
しかし次第に病気が進むにつれて、言った方がいい、ではなく、言わなければいけない、と思うようになっていった。
それは告知することによって、育子に心の準備をしてもらいたいから。
そして、私や子供たちとしっかりお別れをしてほしいからである。
言ってしまえばこんなものかと思った。
育子の反応があまりに少なかったので、告知なんて大したことがないと思ってしまった。
しかし、表には出さなかったが、育子の、病気になったことへの怒り、絶望感はすさまじかった。
育子がこんな人間だったのか、と思うことすらしばしばだった。
育子は内に籠ってしまった。
それを私が悪者になることで外に向けて爆発させるようにした。
病気に対して観念し、人生が終わることを受け入れるまでには、想像できないほどの精神的葛藤があったはずだ。
告知しただけではいけない。
告知されたあと、ものすごい葛藤が患者の心の中で始まるのだ。
その時、家族と医者はそっと見守り、患者が死ぬことを受け入れるまで面倒をみなければいけない。
死を受け入れて初めて、告知の意義が認められるのだ。
育子の場合もそうだったと思う。
自分の死を受け入れてから亡くなるまでの期間が、育子にとっても私と子供たちにとっても、すごく大切な時間だったと思う。
ほんの短い間ではあったが、お互いを理解し、育子にも少しは安心感を持たせることができたと信じている。
これは私が在宅医療を行い、その大切な時間を自宅で過ごせたことがすごく大きいと思う。
あの時期、もし育子が入院していたなら、私たちは理解し合うことができず、告知しなければ良かったと反省していたかもしれない。
やはり育子は、家にいられたことで心のゆとりができたのだ。
そのことが、私にとってはせめてもの救いであり、償いであったと思う。