今から2500年以上も前、仏教の開祖『お釈迦様』が在世の時代に、次のようなお話をされたことがあるのだそうです。
お弟子に対して『人生はいかほどあるか?』と問いかけられます。
それに対して、お弟子の方々は、おもいおもいの答えをしていきます。
あるお弟子は、『人生50年と聞いたことがあるので、50年くらいは大丈夫ではないでしょうか?』と答えました。
それに対して、お釈迦様は『汝、いまだ道を知らず』とお答えになりました。
それに続いて、別なお弟子が『先のことはわかりませんが、10年くらいは大丈夫ではないでしょうか』と答えます。
それに対して、お釈迦様はまた、『汝、いまだ道を知らず』とお答えになりました。
また、あるお弟子は『食べ物を食べることができるうちは大丈夫だと思います』と答えます。
それに対しても、お釈迦様はまた、『汝、いまだ道を知らず』とお答えになります。
どのお弟子の答えに対しても、お釈迦様から返ってくる答えは同じです。
そして、最後に、お弟子の中でも智慧第一と呼ばれた舎利弗(しゃりほつ)が『命は一呼吸の間です』と答えました。
すると、その答えを聞いたお釈迦様は、『汝、当に道を知れり』とお答えになったといわれております。
舎利弗が答えたように、私たちの命は明日をも知れぬ命であり、息を吸って吐き出す次の呼吸の瞬間には、尽きているかもしれない命です。
仏教の教えは、その一瞬の命がまことに尊く、その尊さに目覚めさせ、命を輝かせていく教えなのです。
「出る息は入る息を待たない」という言葉がありますが、一呼吸の一瞬に、あなたはいのちの尊さを感じるということでありましたか。
知らないまま過ぎ去っていくのと、一瞬一瞬を喜ばせていただき、それを積み重ねていくことと、どちらが意味のあることでしょうか。
それを問うて、導きとなる一呼吸のお念仏の教えがそこにあるとおもうと、この一瞬を喜ばずにはおれません。
その一瞬一瞬の中で、私どもはひとりで生きているのではなく、たくさんの人々の支え、いろんな物の恩恵を受けながら、それぞれにとっての大切な命の支え合いをしながら、この命があるのではないでしょうか。
私たちが人生において出逢ってきた、たくさんの方々、誰か一人でも欠けていたならば、今のこの一瞬の尊い命はなかったでしょう。
私たちは、そんな大切な支え合いの中で、生かし、生かされ、一呼吸の命をすごしているのです。
誰かの『大切なあなた』であるということ。
そのことを忘れずに、今日も一呼吸一呼吸を大切に、懸命に生きたいものです。
南無阿弥陀仏。