ハードルを超える(下旬)失敗の経験を後々に活かす壁・限界を超える

22歳のときに、私は初めてオリンピックに出ました。

高橋尚子さんが金メダルを獲ったシドニーオリンピックです。

私の結果は、転倒して予選で敗退。

緊張して、なにかいつもと全然違う。

その緊張がどんどん大きくなって9台目のハードルに足がかかって転倒したのです。

あれだけ心待ちにしていたオリンピックだったのに、たったの60秒、60秒8ぐらいだったかな私のレースは。

それで終わったのです。

その後、1か月くらい茫然と過ごした後、グランドに戻って練習するようになると、どんどん調子も上がってきて、もう1回4年後のオリンピックに出たいという気持ちが沸き起こりました。

敗因を分析し、外国人のレース展開に不慣れで慌てたこと、風や競技場の影響で自分のペースに誤差が出たと判明し、問題を克服するには、世界に出て行かなければ解決できないと、意を決して外国に出て行きました。

イタリアのローマ、クロアチアのザグレブ、スイスのローザンヌ、フランスのパリと短期間に4試合で走り、協議会のスケジュールが密で、とにかく目の前のレースを必死に走るしかない初めてのヨーロッパでしたが、ザグレブでは優勝しましたし、いくつか良い点がありました。

「イップス」という現象があります。

人間がある局面で失敗をしたことが強く心に残り、同じことをしようとしたときに体がこわばって、うまく出来なくなる現象です。

私の場合は9台目のハードルの前にくると体が勝手に思い出して強ばるわけです。

それが、このパリのレースで、無意識のうちにいつのまにか9台目のハードルを越え10台目に向かっている自分がいたのです。

そのとき、自分の中で9台目を意識しすぎることがストンと落ちて、克服できたのです。

スポーツに限らず、克服したいことを真正面から取り組んでいてもなかなか上手くいかなかったりします。

これを少し違う角度や視点から見てみると、解決のヒントや糸口がつかめ、うまく対応できることがあります。

ちょっと見方を変えて、全体を見渡してみるということが非常に重要なのです。

「失敗を活かしていこう」

と、スポーツ選手はよく言うのですが、スポーツ選手が挑戦し続けるにはある一定の割合で上手くいかないことも自ら受け入れています。

そして大事なのは、失敗しても失敗をどういうふうに捉えるか、どうやって慣れていくかということです。

失敗したときの心の切り替えは、挑戦することとセットになっていると思います。

結局、失敗は失敗なんだけれども、この失敗の捉え方によって、いくらでもその後が変わっていくのです。

私は23歳のときに日本人で初の陸上競技・短距離のメダルを獲りました。

獲ってみると、その場に立ってみたらどんな風景だったかといえば、もっと高い目標が目の前に現れてくるんですね。

そして次の高い目標への一歩をまた踏み出すわけです。

現役を続けることは、より高い山を目指し、山登りを続ける行為と同じです。

でも、そういうときに一番重要なのは、自分の原点がどこにあったかを顧みることなんですね。

不思議なことに原点に立ち返ってみると、実はやらなくていいことというのが見えてきたりします。

例えれば、庭木の剪定(せんてい)みたいな感じです。

時々、枝葉を落としてみて自分の幹は何だろうと再確認することがとても大事だと思います。

私は競技の現役は引退しましたが、今後もスポーツを通じて社会に貢献したいと活動しています。

競技生活の終盤には、勝てないけれども、それでも懸命に走っている自分がいました。

そのときスタンドには、勝てなくても「タメスエ」と私を応援してくれる人がいることに気づいたのです。

そのときに自分に出来ることで社会に益する何かを還元したいと、強く意識するようになったのです。

世の中のすべての人にはそれぞれ役割があって、それを全うすることがとても大切なことだと考えました。

スポーツの一番大きな価値というのは、何かを達成しようとして懸命にチャレンジしている姿を社会と共有することにあるのではないかと考えます。

私が今、競技指導をしているパラリンピック候補の選手たちも、彼らが一生懸命に走る姿が感動を呼んで、それが周りの人々を元気づけています。

次世代の選手を育て、選手たちが活躍することで社会に元気をもたらしたいと思いますし、また運動のプログラムを活用して社会に活力を創出していきたいとも考えています。

2020年には東京オリンピックとパラリンピックが開催されます。

この機会に私たちの国に新しい活力が生まれ、もっとよい国となるよう私も出来る限り協力していきたいと思います。