私は「自分の限界をどうやって超えていくか」ってことをずっとテーマにして、練習や競技を続けてきました。
私にとってのハードルというのは、ある意味、自分自身の思い込みなんですね。
自分はこれくらいまでしか出来ないんじゃないかっていうものを、どうやって乗り超えていくかという試行錯誤を繰り返してきたわけです。
私は5歳のときにリレーで優勝し、人生ではじめてメダルというものをもらいました。
足の速さというのは必ずしも幼少期に決まるものではないのですが、ただ私はすごく速くて、5歳のときには幼稚園の中で群を抜いていました。
中学3年生では100メートル、200メートル、400メートル、走り幅跳び、混成競技、6種目で全国1位になりました。
100メートルを10秒6で走り、中学生の中で最も速いタイムでした。
今、桐生(きりゅう)君という大学生がいますが、彼が15歳のときよりも私が15歳のときのほうが速かったのです。
中学のときにこれだけ速いと、もしかしたら自分はオリンピックに出て、100メートルで日本人で初めてメダルを獲る選手になるんじゃないかと期待しました。
高校へ進み、さあ「オリンピックも目指せる選手になるぞ」と胸弾ませていたのですが、実はこの後ちょっとつまずきました。
記録が伸びなかったのです。
そして、初めて後輩に負けました。
私は高校3年間でぜんぜん身長も体重も伸びず、成長期を迎えて伸びてくる選手たちに追い抜かれたのです。
つまり私は早熟型だったのです。
それで高校3年生のときに種目を400メートルに変更して、世界大会に出ました。
そしてここでまた、「びっくり」がありました。
ウサイン・ボルトなどジャマイカの選手の体格、足の長さ、その走りを目の当たりにしたのです。
日本ですら厳しいのに、世界に来たら、さらに、こんな選手たちが大勢いて「もう全然勝てないじゃないか」と打ちひしがれてしまいました。
そんな中、スタンドでぼんやりと試合を眺めていたときに優勝するかなと思ったジャマイカの選手が転んだのです。
それがハードル競技だったのです。
そこでピンときました。
「もしかしたらこの競技なら勝てるかもしれない」と。
日本に戻って練習してみて
「ああ、やっぱりこれだ。ハードルに向いてるかもしれない」
と確信し、ハードルに転向しました。
18歳、高校3年生のときです。
スポーツをやっていたら、壁にぶち当たって何ともならないことがよくあります。
まず、体格は何ともならないし、一生懸命に練習してきたのにライバルが自分より凄かったら、これはもう何ともならないわけです。
ほかにも会場の問題、気象条件など、自分ではコントロールできないことのほうが圧倒的に多いわけです。
そういうことに気づいてくると
「なーんだもう全部、世の中なんて自分が考えたって、なんともならないじゃないか・・・」
って思いがちですが、でも懸命に考えていくと「誰にでも、ちゃんと努力が出来る領域」というのが残っているのです。
スポーツ心理学の本の最初のページに
「コントロール出来るものに意識を向ける」
という文言があります。
どうにもならないことに努力するのではなく「可能性のあるもの」を一生懸命に頑張ることがすごく大事だと気づいたのです。