子どもの頃、「夏休みは楽しい“休み”のはずなのに、どうして宿題がいっぱい出るんだろう」と思っていました。漢字の書き取り、読書感想文、絵日記、自由画、自由研究、そしてそのラスボスとも言えるのが、いろんな科目を満載し、しかも学年が上がる度にパワーアップする『夏休みの友』でした。
「友」、つまり友達というのは、一言で言うと「ありがとう、君がいてくれて本当によかった」と言えるような存在なのではないかと思います。
ところが、『夏休みの友』は、人気アニメの主人公・ちびまる子ちゃんも物語の中で「あーやだっ、どこが“夏休みの友”なのさ。こんなヤツ友達なんかじゃないやいっ!」と怒っているように、夏休みは朝から夕方まで宿題のことなんかきれいさっぱりと忘れて、友達と野球をしたりプールに行ったりして、それこそ一日中いろんな遊びを満喫したいのに、そんな小さな幸せに浸ることを許さず、嫌でも一定の時間、自分を机の前に縛りつける「嫌なヤツ」で、友達どころか、まさに「夏休みの敵」なのでした。
けれども今になって振り返ってみて、もし『夏休みの友』がなかったら本当に良かったのかというと、朝から晩まで浴び呆けてしまい、おそらく夏休みの途中からは生活のリズムが乱れたり、一学期に学んだことをすっかり忘れてしまったりして、二学期はかなり苦労をしたかもしれません。
「苦きことを言う友を持つ仕合わせ」という言葉があります。私たちは、お世辞だとわかっていても褒められると嬉しいものですし、他人の悪口は嘘であっても面白がるものです。その一方、自分の欠点や改めるべき事柄を面と向かって指摘されると、たとえそれが本当のことであったとしても、素直に認めようしないばかりか、時には腹を立てたりすることさえあったりします。
また、いつも本当のことばかりを口にしていると、友達の少ない人生を送ることになりそうな不安がよぎるので、概ね当たり障りのないことを口にしがちなものです。そのため、なかなか自分の欠点や愚かさに気付いていても、自ら認めたくなかったり、過大評価を信じようとしたりしてしまいます。けれども、深い信頼関係に結ばれた友達だけは、それが私にとって耳の痛いことであったとしても、勇気をもってきちんと教えてくれるものです。
そうすると、子どもの頃はずっと「敵だ」と思っていた『夏休みの友』ですが、今にして思えば「怠惰な夏に陥ることのないようにしてくれた真の友であったかもしれない」と感じることです。同じように、友達の中にも、一人はそういう人がいてほしいものです。