樵夫(きこり)のような男が、ぶらりと叡山の根本中堂の前に立った。
座主(ざす)の執事らしい僧が、
「うろんな奴、あれを糺(ただ)せ」
と、院務を執っている一人へ囁くと、
「これっ」
ばらばらと、二人ほど、駈けてきて、男の腕をつかまえた。
逃げもしなかった。
「はいっ」と、明皙(めいせき)に――
「なんですか」
「おまえは何者だ」
「私は、十数年前、当山にいて中間僧(ちゅうげんそう)を勤めていたことのある朱王房といっていた者です。もっとも只今では、聖護院の印可をうけ、名も播磨房弁円とかえて、山伏となっておりますが」
「なに、山伏じゃ」
と、異様な彼のふうていを見直して――
「山伏たる者が、何でさような姿をし、山刀など差して、お山をうろついているか」
「ゆうべの夜中から、鹿ケ谷の奥峰から山づたいに参ったので、麓にある山伏の行衣(ぎょうえ)を取り寄せて身にまとう遑(いとま)もなかったのでござる。それゆえに――」
「待て、いちいちいうことが不審である」
「そのご不審は、座主にお目にかかってお話する。座主がお会いできなければ、それに代わるお方でもよろしい」
傲岸(ごうがん)な態度である。
しかし、狂人ではないらしい。
僧たちは、執事までありのままに取り次いだ。
――鹿ケ谷からと聞いて首をかしげたが、とにかく会ってみようという。
それから、弁円は、足を洗って、一室へ入った。
人を遠ざけての密談で、なにか長い時間そこを出なかった。
それのみか、中堂からは、にわかに使いが走り、主なる長老や叡山の中堅が二十名も集まってくる。
――何事が起るのか、末輩には分らなかったが、やがてその日の夕方には、弁円は一人麓に降りて、かねて預けておいた所から笈(おい)や服装をとりよせて、元の山伏にかえり、京の町を大股に急いでいた。
「ここだな」
仙洞御所の前に立って、弁円は杖をとめた。
御門垣から少し離れた所には、例の松虫、鈴虫の詮議に関する厳達が高く掲示されてあり、その板も、もう雨露(うろ)に墨がながれていた。
「おねがい仕る」
衛府の門を入って、弁円は高らかにいった。
「おそれながら、松虫の局と鈴虫の局のありかを、まさしく見届けて参った者でござる。御上申のほど願わしゅう存ずる」
「なに」
と、衛府のうちでは色めき立って、すぐ、彼は評定所のほうへ廻された。
問注所の役人がいならぶ。
弁円は、雄弁に、自身で探りあててきた次第を述べたてた――勿論、鹿ケ谷の安楽房と住蓮のことは、極力それを誇張して。
「よしっ」いちいち書きとめて、
「確(しか)と相違ないな」
「神仏につかえる身、何として」
「拇印(ぼいん)を」
と、彼の証(しるし)を取って、
「追ってお沙汰があろう」と帰した。
弁円は、問注所から衛府を通って、御門の外へ出た。
門の外には、叡山の法師たちが、頭巾の裡(うち)から眼をひからして待っていた。