「弁円どの。どうだった」
法師たちの影は、彼を囲んだ。
弁円は、小声で、
「上々の首尾さ。――確(しか)と、中堂の執事と、叡山の大衆(だいしゅ)へ、この由、触れておいてくれ」
「心得た」
「――では、後を楽しもう」
「応」弁円とわかれて、法師たちは山へ走った。
彼らがもどってくることを、もう中腹の寺々では待っていた。
一人が聞くと、先へ走って行って、一人へ伝える。
その者がまた、次の者へ伝える。
わずかなうちに、このことは、一山のうちに知れていた。
「いよいよ念仏門の滅亡の日も近づいた」
と、人々は暗黙のうちに、叡山天台の独り誇り得る時代が来ることを祝福して、法敵吉水へやがて襲うであろうところの暗風黒雨を想像し、
「こんどは、ちと烈しいぞ。いくら強情な法然でも、善信でも、致命的な悲鳴をあげるにちがいない」
いかに吉水禅房の人々がそれに処すか――見ものであろうなどという言葉は、かなり長老といわれ碩学といわれている者の口からも洩れた。
「好機。ここを外すな」
叡山はまた、鳴動しだした。
そういう裏面のことなどは元よりおくびにも出すのではない。
例の打倒念仏の理論をかかげて、洛中へあふれ出した。
南都も、それを伝え聞いて起った。
彼らは、朝廷へ向って、再び、
「念仏停止(ちょうじ)願文(がんもん)」
をさし出すと共に、辻に立ち、寺に立ち、檄を貼り、声をからして、念仏門を誹謗した、批判という中正は元々欠いているのだ、ただ、念仏を仆(たお)せ、法然を追え、善信を葬れ――とさけぶ。
だが、民衆は、まだ耳をかさなかった。
笛ふけど踊らず、民衆の批判のほうが、遥かにもう進んでいたのである。
*今――眠ろうとしていたところであった。
破(や)れんばかりに戸を叩いて、
「お二人っ!起きていますか。――住蓮と安楽です。すぐ、すぐに!逃げる支度をしてください、逃げる支度を」
まるで、山海嘯(やまつなみ)のような、不意であった。
松虫と鈴虫は、
「アッ……」
と全身を凍らせた。
だが、松虫はさすがに年上であった。
「あわててはいけません」
わざと静かに、こうなだめて、咄嗟に身支度をし、足ごしらえまでして戸を開けた。
その時のほうが、彼女はぎょっとした。
いつも暗澹(あんたん)と樹々の風ばかりしている山裾のほうが、真っ赤なのである。
そこらの樹木の一本一本がかぞえられて、葉や幹の下草までが、赤い火光にかがやいているではないか。
「火事ですか」
住蓮と安楽は、小屋のうしろで突く這っていた。
石清水へ口をつけて吸っているのである。
濡れた顔のまま、
「さ!逃げるんです」と、いった。
「あの火事は法勝寺ですか」
「火事だけなら、こんなにあわてはしません。衛府の者がやって来たのです。とうとうやって来た!何十人という捕吏を連れて――」