――生きて在(お)わした。
――ご無事で。
と玉日もそう思い、生信房もそう思うほど、奇蹟の心地がするのであったが、やがて、草庵の一室へ通った善信は、
「さびしかったであろ」
と、妻をいたわって、自分の身のことなどは、なんのこともなかったような容子に見える。
――生きている!いかにも久しぶりにわが家へ戻ってきた善信は生きている人のすがただった。
相かわらず、はちきれるような健康を持ち、皮膚はすこし焦(や)けて浅黒く、何か、山が崩れてきても動じないよう、いつも濃い眉がよけいに強い意志の象(しるし)に見えて、悠揚として寛(くつろ)いでいるのだった。
「さだめし、都のうわさ、吉水御一門の凶事、お汝(こと)らも、聞いたであろうが」
とやがていう。
それも、若い妻の実社会のどんなものかを多く知らない胸に、唐突な驚きをさせまいと気づかうように、静かなことばで――
玉日は、生れてまだ二歳(ふたつ)の房丸(ふさまる)を胸に抱いていた。
「はい、存じあげておりました」
「かねて、上人にも、期(ご)しておられたことだ。驚くにはあたらぬ」
「心はいつも決めております」
「それでこそ」と善信はにこと笑って、
「――むしろよろこんでいいことだとさえわしは思う」
それは少し意外に感じたのであろう、玉日は、解きかねたような眉を上げて、良人の顔をみた。
善信は、低くことばを続けて、
「なぜならば、今までは、都会の中の吉水禅房であった、都会人へ多く呼びかけた念仏であった。したがって、われらの説く声――わたしたちの信も――都を中心として思うままには行きわたらなかったが、このたびの御停止(ごちょうじ)と処罰によって、上人を初め、われらの末弟までが、諸州の山間僻地、流罪に科せらるるにおいては、これよりはいやでも、念仏信者が日本の全土にわたってその信を植えることになる――」
こういいながら、善信は、眼に何ものかを見ているように頭(かしら)をすこし下げて、
「これは、まったく、御仏のお計いじゃ、これを天佑(てんゆう)といわずして何ぞや。
――小さな都の一箇所に、多年、跼蹐(かがま)りこんでおったわしたちに、さらに眼界を宇内(うだい)にひろくし、仏のお心でのうてなんとしよう。
……されば、善信は上人へも申しあげたことじゃ。
――このたびの儀は、こよなきおよろこびでござりましょうとな。
……すると、上人もほほ笑まれて、善信ようこを申されたと、お賞めのおことばを戴いたことであった」
玉日は、乳をすう幼児(おさなご)の顔をじっと見ていた。
自分が一つの母胎であると共に、良人が、億万の民衆に愛と安心の乳をそそぐ偉大な母胎でなければならないことがよく分った。
――だが、女としては、まして若い母としては、胸の傷むことであった。
良人の話に、うなずきながらも、睫毛(まつげ)の先には、白い露がかすんでこぼれかけた。
「すこし見ぬ間に……」
と、善信は、房丸を抱きとって、頬ずりした。
「――重うなったの、さだめし、そなたは丹精なことであろう。だが、風にもあたれ、雨にも当れ、弥陀の子は、きっと育つ」
生信房は、次の間の物蔭に手をついていたが、善信のことばが、いちいち腸(はらわた)に沁みてくるように思った。