「裏方様――裏方様」
あわただしく、生信房(しょうしんぼう)は、こういって、草庵の縁から、奥へ告げた。
生信房というのは、つい先ごろ――去年の暮に――この岡崎の草庵へ新しく侍(かしず)いて、実直に働いている新沙弥(しんしゃみ)であった。
その実直ぶりや、起居(たちい)のはやい様子だけを見ては、誰もその新沙弥がついさきの年まで、世の人々から、魔か鬼かのように怖れられていた大盗天城四郎がその前身と思いつく者はあるまい。
彼は吉水の上人に、その前名である天城四郎とか、木賊(とくさの)四郎とかいう悪名を捧げてしまって、そのかわりに、信をもって生れかわる――という意をこめた「生信房」の名をいただいたのである。
上人は、その折、
「わしはもう老年であるから、そちに附随を申しつけて、永い先の道を手をとってやることができない。善信はまだ年も若く、年来、そちとは有縁(うえん)の間がら、また、師と頼んでわしにもまさる人物であるゆえ、善信について、向後(こうご)の導きと教えをうけたがよい」
といわれた。
それ以来、彼は、岡崎の草庵へ来て、草庵の拭き掃除やら裏方の用やら、夜の番人やら、なにくれとなく忠実に下僕(しもべ)の勤めをしていたのだった。
(狼が、良犬になったような――)と彼の前身を知る者は、奇異な思いをして見ていた。
それほど生信房は、正しく生れかわっていた。
――今度の吉水崩壊の大変を知ると、彼は、歯がみをして、くやしがった。
それが、かねて弁円から聞いていることによって叡山の卑劣な奸策(かんさく)が大きな動因となっているのをよく知っているからである。
(この身一つを捨てる気で、叡山に火をつけてやろうか)などと口走ったりすることもあったが、裏方の玉日の前からたしなめられると、
(はい、そんなことは誓っていたさないことに、仏様にも約束いたします)と、素直に服従した。
玉日の前は、もう、前の年から妊娠(みごも)っていいて、彼女の室(へや)には、いつのまにか、珠のような嬰児(やや)の泣き声がしていた。
――仏前に詣(まい)るにも、弟子と話すにも、南縁から、三十六峰の雲をながめているにも、その膝には、母乳(ちち)を恋う良人(おっと)の分身をのせていた
このところ、彼女は母乳が出ないので、悩んでいた。
良人はどこへ行ってどうなっているのか。
その消息はいっこうにわからない。
騒擾(そうじょう)のうちに、暗殺されたといううわささえ巷には飛んでいる。
そんなことがないともいいきれない良人の身辺であり、またその烈しい強い性格を知っているだけに彼女は胸がいたむのであった。
今――生信房が縁から、
「お師さまが、おかえりですぞ。――たしかにあのおすがたは、師の善信様にちがいない。はよう、出てごらんなさい」
そう呶鳴るので、玉日の前は、胸がずきっと痛むほど大きな衝動をうけた。
「ほんに……」
縁へ転(まろ)び出て彼女は伸び上がった。
白川のほうからこの岡崎の丘の林へのぼって来る小さい人影が分るのだ、飄々(ひょうひょう)として、春のかぜに、黒い法衣のたもとがうごいている。
(良人だ)そうはっきりわかると、彼女は、ふところに抱いているまだなにも知らないわが子へ、ひしと頬ずりして、
「お父さまが、……そなたのお父様が……ご無事でおかえりなされたぞや。……うれしいか、うれしいかや」
何度もくりかえして、もう、涙をぬらしているのだった。
生信房も、横を向いて、拳でそっと眼をこすった。