ご講師:富田富士也さん(子ども家庭教育フォーラム代表)
悩んでいる人というのは、自分の思っていることをうまく整理して話せないんですよ。
幼い子もそうなんです。
そういう悩んでいる人に、幼い子に「人に話すときはもうちょっと筋道たてて話せ」なんてばかなこと言ったらだめですよ。
そんなこと言ったら話す気力をなくしちゃって「もういいよ、やめた」となっちゃう。
僕らカウンセラーの仕事は、そういう人たちを「ああだ、こうだ」と言って当りを付けていくんですよ。
これを僕たちは「見立て」と言っているんです。
心をなぞっていくんですね、「こんな人かな」て。
だから手間がかかる仕事なんですよ。
「人は傷つくリスクを背負ってこそ、初めていやされるチャンスと巡り合える」。
人に声をかけても、必ず百パーセント相手が受け入れてくれるという保証はどこにもない。
だから、人に声をかけるということは勇気がいることなんです。
幼いころから、声をかけて受け入れられたり断られたりと、そういう育ちをしていないと、人はたくましくなっていかない。
かつて、ある県の温泉地に講演にいったんです。
百十二名くらいの小学校の開校記念ということで、そこの保健室の養護教諭の先生が僕を呼んでくれたんです。
先生が車で迎えに来てくれて学校に行きました。
お食事前にちょっと教室を見て回ろうということになって、その先生が案内してくれました。
子どもたちはあまりいなかったんだけれども、六年生の組のあたりに行ったときに、ふっと見たら教室に二、三人の子どもたちがいたんで、教壇でちょっと教師っぽいことをしたんです。
そしたら大きくてゆったりした一人の子がいきなり近づいてきて言うんですよ。
すごい唐突なことでした。
「おじさん、汚れた空気を吸うと、汚れた心になるんだよ」てね。
カウンセラーというのは言葉だけをきいたらいけないんです。
言葉の後ろには必ず「…」という余韻がある。
これをきかなきゃいけない。
人の多くは言葉をきいて欲しいんじゃないんです。
気持ちをきいて欲しいんです。
人は「この人は僕のために時間を取ってきいてくれた」と思えたとき、それだけでその人が好きになるんです。
その人に心が揺れ動いていくんです。
カウンセリングで「言葉を聞く」というときは「聞」という字を使います。
しかし、「気持ちをきく」というときは「聴」という字を使います。
人は言葉を聞く前に気持ちを聴いて欲しいんです。
だから、「聞聴」ではなくて「聴聞」が大事なんです。
まずそのまんまの言葉を、許して、信じてきく。
何言われたって「この子はこの言葉を通して何を言おうとしているのか、何を分かってほしいのか」と思えば、その悪態の言葉が尊い言葉としてきこえてくる。
でも私たちは、目に見えるもの、きこえてくるものだけを信じて突き進んで行った。
そして、そのために多くのものを、多くの心をこぼしてしまった。
経済的豊かさと引き換えに、何か大切なものを私たちは見落としてしまった可能性がある。