「医療現場で求められる仏教」(4)生死を超える道

「明日こそ、明日こそ」と生きていると、「今」が輝きません。

終わったとき、空しく過ぎたということになります。

そのような私たちに「あなたの理性知性の分別の体を超えて、大きな仏さまの智慧の世界を生きなさい」と教えてくるのが、南無阿弥陀仏の心です。

『歎異抄』の第2章に「念仏をとりていかんとも捨てんともそれは面々の御はからいなり」とあります。

私たちは、自分の人生を生きていくとき、自分の分別だけで間違いないと考えるようになってしまったら、老病死は受けとれないのです。

でも、仏さまの智慧の世界で見ていくと、それは超えられます。

「南無阿弥陀仏」とお念仏するときに「無量寿」という世界が現れます。

「無量寿」とは「寿(いのち)が永遠」ということです。

圧倒的に大きい世界との出会いになるのです。

今の一瞬に「永遠」に出会うという感覚を持てるようになります。

ですから、仏教というのは、「今、今日しかない。今日、今できる最善を尽くす」というわけです。

「南無阿弥陀仏」と素直にお念仏させていただくと、仏さまと通じる世界をいただいて、そこで「私に与えられた場を、精一杯生ききって、あとはお任せ」というかたちで、生死を超えていけるのです。

現在完了なのです。

現在完了は、過去から今までがここで完了し、それがずっと継続していくのです。

どこまでか。

生身が尽きるまで。

そして、生身が尽きたときに念仏するものを浄土に迎えてくださる。

それが、仏さまにお任せの領域なのです。

医療現場においても、患者さんに寄り添いながら、患者さんの価値観や普遍性のある人生観というものを共有することが肝要です。

生老病死の現場で「臨床宗教師」という動きも出てきました。

医療と仏教が協力して、一人ひとりが「人間に生まれて良かった」と、人生を行ききって「あとはお任せします」と。

決して不幸の完成で終わるのではない人生を生きていく文化を共有できれば、素晴らしいと思います。