「――いってください、後生です。女房へ下げるその手を、どうして御仏さまには下げられないのでござんすか」
「お……お吉」
「いってくれますか」
平次郎は、突っ張っていた肩を、がたっと落して、
「……いう、いう……」
と、顔をおおった。
「オオ、お前様」
お吉はうれしさに、われを忘れて、良人の手を引っ張った。
二人は、かがやく灯(あかし)へ向って、並んで坐った。
善光寺如来の分身が、新らしいお厨子の内に、皎々(こうこう)と仰がれた。
平次郎は、ふと、羞恥(はにか)むように、妻のほうを見てたずねた。
「……だが女房、なんというて、お詫びをいうたらよいのか」
「さ……」
彼女は考えて、
「やはりただ、なむあみだ仏――と、そう仰っしゃればようござんす」
「それだけでよいのか」
「ええ」
「たったそれだけで、おれが今日までやったいろんな悪いことが、みんな、お詫びになるだろうか」
「先の願いにもなりまする」
「では……」
ふたりの掌がいっしょに揃って、合掌した。
燦として、外陣内陣の仏燈が、いちどに、光を改めた。
「なむあみだ仏――」
「なむあみだ仏――」
「おお、おいいなされた」
お吉のほほ笑みは、さながら、菩薩の笑みに似ていた。
平次郎は、やめなかった。
「なむあみだ仏、なむあみだ仏――」
ぼろぼろと涙がやまない。
「もう、ようござんす、ここは、家ではございませぬから」
心から、笑って、夫婦は急に、親鸞のうしろへ退がった。
城主も、侍たちも、二人をながめている間、平次郎の過去の罪を考えている者はなかった。
ただ美しいものを見るように見惚れていたのである。
藤木権之助がすすんで、
「追ってお上よりも、何かのお沙汰があろうという仰せであるぞ。ようお礼を」
と、二人のそばへ来てささやいた。
平次郎は、あわてて、武士たちの居ならんでいるほうへ頭を下げた。
それは、家来たちの席であると注意されて、急いで、城主のほうへまた、お辞儀をし直した。
梵鐘が鳴り出した。
人々は、座を立つ。
供養の式は終ったのである。
だが、群衆はまだ去らないで騒いでいる。
御堂ヘ向って前栽の両側に、これから、城主と親鸞とが手ずから鍬(くわ)を持って、双つの樹を植える式があるというので――。
その樹は、一方に柳樹、(りゅうじゅ)、一方には菩提樹であった。
下野の城主国時と、親鸞とは、大地へ下り、東西にわかれて、鍬をとった。
植えられる樹のうえに、もう無数の禽(とり)が舞って来て、浄土の歌を囀(さえず)っていた――。