2020年3月法話 『恋しくば南無阿弥陀仏を称ふべし』(前期)

今月の言葉には、この後に

『我も六字のうちにこそ住め』と続き、一首の詩になっています。

恋しくば
南無阿弥陀仏を称うべし
我も六字の
うちにこそ住め

お釈迦さまは、愛する者、家族、大切な人、仲間、出会ってきたかけがえのない方たちとも、いつか別れていかなければならない人生の苦しみ、厳しさを、「愛別離苦」とお示しくださいました。

けれども、仏さまのご縁をいただいたうえは、死や別れをもってそれで終わりではない世界が開かれてくるとお聞かせいただいています。

浄土真宗の教えの特色は、命の終わりとともにお浄土の仏として生まれさせていただき、再びこの世界に還り、後の人々をまた浄土へと導く「無量寿」の仏と生まれさせていただくことが大きな願いであります。

無量寿の仏とは、計り知れない仏さま。また違う言葉で表現するならば、いつでも、どこでも、どんな時でも、私を包み込んでくださる仏さまと言えるのではないでしょうか。私たちの思い計らいを超え、いついかなる時でも「南無阿弥陀仏」と声となって口に届き、耳に聞こえ、響いて来てくださる仏さまであります。

この詩に込められた思いも、まさに命の終わりを迎える中で、悲しみに暮れる家族や仲間に対し、どうぞ寂しいときは、私のことを恋しいと思い返してくれる時には、お念仏を称えてくださいね、南無阿弥陀仏と呼んでくださいね。私もあなたの称える南無阿弥陀仏の六字の声となり、仏となり、またあなたのところに還ってきますねと、自分の命を仏さまに委ね、仏として生まれていく安心感に包まれて、死が終わりではないことをこの上ない言葉の響きで私たちに伝えてくださっているように感じます。

お念仏の六字は仏さまのお名前です。いつでも、どこででも、ただ一声南無阿弥陀仏。そのお念仏の響きの中に、亡き方の仏と生まれた命が私のところに還ってきてくださるのです。