なにかと忙しい生活の中で、気づけばもう3月。
時の流れの早さをしみじみと感じる今日この頃です。
昨年の12月31日に65歳の方のお葬儀がありました。
その方は鹿児島市内に住んでおられた方ですが、実家近くにある特別養護老人ホーム(特養)におられるお母さんに会われるために実家に帰ってこられたときに、急に体調を崩され、お亡くなりになられました。
その方は1年ほど前に、鹿児島市内で色々と納骨堂を探されていたようですが、なかなか見つからずに私のお預かりしているお寺の納骨堂に申込みにこられました。
穏やかで几帳面な方でありました。
その後、たまたま、鹿児島市内でばったりお会いした時に、「お元気そうでなによりです。また今度お会いしましょう」といってお別れしたことでした。
それからまだ1年も経っていない昨年12月に亡くなられたという知らせを受けて、ただただ驚き、最後にお会いした時の穏やかなお顔が鮮明に思い出されたことでした。
先月その方の49日の法要があり、ご遺族の方々がお参りにこられました。
お勤めが終わったあとご遺族の方々とお話をしているとこうおっしゃいました。
「実は昨日、49日を迎える前日に主人が注文していたものが届いたんです。年が明けたら旅行にも行く予定になっていて本人もまさか自分が注文したものが届いた時に、自分が亡くなっているとは思ってもいなかったと思います。」
とおっしゃっておられました。
この方のように、新しい年を迎えたくてもお迎えできなかった方が、たくさんおられます。
そしてさらに言いますと、今朝、目を覚ましたくても目を覚ませなかった方々がたくさんおられます。
そのことをしっかりといただいていくときに、こうして今、新しい年を迎え、今朝目を覚ますことができたことはけっして当たり前のことではない、あること難し。
有り難いいのちをまさに今いただいていかされていることを思わずにはおられません。
この突然のお別れを他人事ではなくしっかりと自分事として受け止めさせていただくことが、この方の死をけっして無駄にしない生き方へとつながるものであると思うことです。
いつどこでどうなってもおかしくないいのちであるからこそ、今この瞬間を大切に大事にする日々の日暮しを送らせていただきたいものです。