有吉佐和子さんという作家がいらっしゃいました。
この方が私に言うんです。
「あんた、どうせお酒飲んであっちこっちと歩き回って野たれ死にするんだから、ダイヤモンドの一つぐらい持ちなさい」と。
私は「私の手に付けたって、ダイヤモンドが困るわ」と言ったんです。
私は宝石に興味がないんです。
そして「ではダイヤモンドを持っていたら、誰がどうしてくれるの」と聞いたら、「野たれ死にしても、ダイヤモンドを取って葬式ぐらい出してくれる」とおっしゃるんです。
そこで私は「私は心の中にダイヤモンドがある」と言ったんです。
私は浄土真宗の門信徒に生れて、『お正信偈』とか『御文章』を小さい時から母が読んでくれるのを聞いて育ちました。
ですから、それが私のダイヤモンドだと言ったんです。
そうしましたら「ばかね」と言われましたが…。
結局人間には、その人その人の分というのがあると思うんです。
分相応に生きるという生き方は、私は職人の娘ですから、小さい時からたたきこまれたんですね。
自分が背伸びをしていろんなことをしようと思っても、その分のところから出られないです。
かつての日本人はみんなそうだったと思います。
ところが高度成長をして、世界第二位の国になったということから、みんな思い上がってしまった。
つまり「上がり」ばかりを考えてしまったんですよ。
蓮如上人は、「人はあがりあがりばかりでおちばをしらぬなり」と。
上がったら下りなければいけないということを、蓮如上人は五百年昔からちゃんとおっしゃっているんです。
平家もそうです。
あの平清盛が全盛を極めたのは、たったの十六年です。
平家が世に出て三十六年。
三十六年で平家は壇ノ浦に沈むんです。
日本人も高度成長を通じてちょっとおごり高ぶりました。
だから本当に大切なものは何かということが見えなくなってしまったんですね。
地位があっても名誉があってもお金があっても、手に入らないものはいっぱいあるわけです。
私の今日までの人生は、日本中を歩いていろんな人と「形のないご縁」をいただいたんです。
縁というものは形がないんです。
今日出会ったご縁は、今日しかないんです。
またということはないんです。
結局私たちは、まだまだ先があると思っている。
今日を燃えて生きなければ、明日はないのです。
そして、これから年を取れば取るほど孤独になっていきます。
ですから縁をたくさん持って、友だちをたくさん作っておかないと、寂しいですよ。
私の亡くなった母がつねに言っていました。
「人間は六十にならんとわからないことがある。七十にならないとわからないことがある」と。
そう言って母は八十なりました。
「お母さん、八十になって何がわかった」と聞きましたら、「誰もおらんようになった」と。
友だちがみんないなくなったんです。
子どもがいようが孫がいようが、友だちにしかしゃべれないことがあるんですね。
ですから今こそ、この形のないご縁を大切にして生きていかないといけないと思っています。