「祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり」
と『平家物語』の冒頭にも歌われており、私たちにも馴染み深い仏教のお言葉です。
祇園精舎とは、京都の祇園にある、お寺のことではありません。
お釈迦さまのおられたインドにある、お寺のことです。
そこにある鐘の音が、諸行無常と伝えているようだというのです。
さて、その
「諸行無常」
のお言葉ですが、その意味を聞いてまいりましょう。
はじめに
「諸行」
とは、因縁によってつくられた現象世界のすべてのもののことをあらわします。
つまり、私たちの周りのすべてということです。
それが
「無常」、つまり、すべてのものは生滅・変化して常住ではないというのです。
「そんなことは知っている!!」
と、多くの方はおっしゃるでしょ。
聞かせて頂くと、当たり前のことを、お釈迦さまはおっしゃっているだけなのです。
「生まれた者は、いつしか死ななければならない。」
この私も、いつかは死にゆく者だということは、わかっています。
しかし、それが明日とは、よほどの病に苦しむ中でしか思えません。
当然のように明日がきて、また今日と同じような一日を送るものだと思っています。
でも、どうでしょう。
明日が、今日と同じ一日ではあるはずがありません。
明日は今日と比べて、私たちの身体も変化していますし、考え方も変わります。
また、周りの状況も少しずつかもしれませんが、変化していきます。
毎日の生活が、同じような一日の繰り返しであると感じられるかもしれませんが、それは決して同じ一日ではないのです。
繰り返しにはなりますが、お釈迦さまは、真実は諸行無常とおっしゃいました。
あっという間の私たちの一生涯。
諸行無常の中を生かさせて頂く、私たちの人生とはいったい何なのでしょうか。
答えは簡単に出るものではありません。
しかし、その疑問が、私たちが真理にむかう初めの一歩なのです。
「無常を観ずるは菩提心の一なり」
寒空のもと、少し考えてみられませんか。
諸行無常の響きについて。