2022年6月法話 『見えるものだけがすべてではない』(前期)

“花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根はみえねんだなあ”
(相田みつを)

道ばたに紫陽花が綺麗に咲いております。咲いた花にばかり目がいってしまう私ですが、花を咲くまでに支える枝があり、幹がある。そして、幹の下には土の中に張り巡らされた根があります。相田さんの詩で見える部分のはたらき、見えない部分のはたらきに気づかされます。

また、花が咲くためには、土の養分や水、日の光と様々なはたらきも必要です。どれも欠かすことのできない大切なものであります。

花だけでなく、私自身にも同じことがいえます。今まで生きていた中で、どれだけ多くのものや人に支えられ、助けられてきたのでしょう。忘れることのできないこともあるけれど、気づかないところでたくさんの支えの中で今を生きているのが私です。

 

つい先日、大変お世話になった方とお別れしました。別れて日は経っていきますが、未だに寂しい気持ちになります。寂しいことではありますが、浄土真宗のみ教えを聞かせていただく中で、別れておしまいではないことに有り難さも感じております。

親鸞聖人がお示しくださった浄土真宗のみ教えは「阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する」教えです。また聖人は、「先に生まれん者は後を導き、後に生まれん者は先を訪(とぶら)へ・・・」(教行信証)と中国の道綽禅師の言葉を引用され、お書きになられています。

先にお浄土に往生され、仏さまのはたらきとなって、今なお私を導いてくださいます。そのはたらきは、目には見えないけれども、私を支えてくださっています。見えるものだけがすべてではない、目にはみえないところにも大きな支えがある、多くの支えの中で生かされていることを知らされるとき、おかげさまと感謝の気持ちを忘れずに日々を生きてまいりたいと思うことです。