平成29年7月法話『無常 この夏もやがてあの夏になる』(後期)

Yちゃんが亡くなった。

ある夏の日、悲しい知らせが届きました。

難病で、

体も小さく、歩くことも難しかったYちゃんが

お父さん、お母さんに手を引かれて

恥ずかしそうに私たちの園に来た日のことは

今でもよく覚えています。

他のお友だちと

同じ速さで歩いたり

一緒に遊ぶことは難しいYちゃんでしたが、

「歩くスピードが遅いので

先生方にはたくさん迷惑をかけるかもしれませんが

それでも、この子にはおともだちと一緒に歩いてほしいし、

いっぱい遊んでほしいです。

体も弱いので、なおさら先生方にはご心配をかけますが、

見守っていてもらえないでしょうか」

というご両親の思いに応えて、

私たちも見守ることにしました。

おともだちの中で過ごすYちゃんはとても楽しそうで

笑顔いっぱいでした。

がんばって、お友だちと一緒に歩いている姿を

何度も何度も見かけました。

お友だちも、Yちゃんのスピードに合わせたり、

時にはさりげない手助けをしたりしていました。

誰が教えたわけでもないのに。

子どもたちって、ほんとにすごいですね。

私たちは、そんな姿を見ることがうれしくて

「Yちゃん、よかったね。

いい笑顔で楽しく毎日を過ごせて」

と思っていました。

でも、

まもなくYちゃんは休みがちになり、

そしてほとんど登園しなくなってしまいました。

園生活の中で、もっと無理がないようにサポートでするべきだった、

私たちはYちゃんに無理をさせていた、

そんな、申し訳ない思いで、ご両親とお話ししました。

「先生、確かにYはちょっと無理をしていたかもしれません。

でも、それは私たちが先生方にお願いしたことでしたよ。

そして、何よりも

Yがそうしたいと思っていたことでした。

園から帰ってくると、確かに疲れてはいましたが、

今日はこんなことをして遊んだ

今日はこんなことがあったと、

おともだちの名前を言いながら楽しそうに、嬉しそうに話すんです。

そんな姿をみるのが、私たちもうれしくて。

そして私たちが喜ぶのを

Yも感じていたのでしょう。

だからちょっときつくても

園に行くって、張り切っていたんですよ。」

それ以降、全く登園はなかったのですが、

クラスのお友だちは、お手紙も届けたりはしていました。

ご両親は、

「Yがここの園の一人という証です。

Yがお友だちや先生方の中にいるお礼です。」

と、何度も休園措置で保育料免除をお勧めしたにもかかわらず、

保育料を払い続けていかれました。

そして、一年が終わる時、

お父さんのお仕事の関係で県外へ転勤されることになり、

Yちゃんは退園をしていきました。

そして数年後に、この知らせが届きました。

はにかんだ笑顔のYちゃん、

お友だちの後を、一生懸命に歩いていたYちゃん。

あの姿は、私たちに今こう語りかけてくれます。

明日は当たり前のように来る

いつでも当たり前のように会える

そう思い込んでいない?

でも、決して当たり前じゃないよ

明日が来ない日が来るかもしれないし、

もう会えないかもしれないよ。

だから、

いま自分に恵まれていることを

当たり前と思わないで、大切に、大切にしてくださいね。

と。

お寺に行くと、死ぬ話が多いし、

明日はわからないですよと脅されるからいやだなあ

なんて、言われたこともあります。

死ぬ話や脅しのように思える話は

確かに聞きたくない話かもしれません。

でも、

生きていることを当たり前だと思い込んで生きている私たちに

無常のいのちなんだよ、

今を大切に生きてくださいね

と、先立って言った方々が、

命をかけて教えてくれていることなんだと思います。

Yちゃんが精いっぱい今を生きてくれていた姿は、

あの知らせを受けた夏の日以来、

かけかけえない教えとなって、今私たちの中に輝いています。