私たちの身のまわりでも『ひまわり』による天気情報、GPS信号を利用したカーナビ、グーグルマップなどの地図情報、漁業においても海温の違いで魚の群れを探索するなど、人工衛星のデータが活用されています。
テンピュールなど低反発の枕やマットレスはロケット打ち上げのとき宇宙飛行士の苦痛を緩和する背もたれに開発されたものですし、車のエアバッグの活動システムはロケットの発射装置の技術を応用したものです。
コンビニなどにある監視カメラも人工衛星の太陽電池パネル状況確認のために開発された技術が活用されています。
また宇宙ステーションでは洗濯せず汚れた衣類は捨てますが、なるべく汗をかいても臭くならない繊維素材も開発されて日本のメーカーが現在一般にも販売しています。
種子島宇宙センターから宇宙ステーション補給機『こうのとり』が補給物質を運びます。
安全に宇宙ステーションにドッキングするためにロボットアームを使いますが、ことのき『きぼう』と『こうのとり』が互いに通信して位置確認しながら近づいていく『近傍(きんぼう)通信システム』もJAXAをはじめとする日本のエンジニアによって開発されました。
このシステムは他国の補給機にも採用されており、日本の技術力の高さが世界に認められているひとつです。
宇宙に関して、日本では鹿児島県にしかないものが発射場です。
航空宇宙産業、ロケットを作ったり人工衛星を作ったりする場所は日本中にありますが、発射場だけは鹿児島県にしかないのです。
種子島宇宙センターは1969年(昭和44年)にでき、『ひまわり』など実用人工衛星を打ち上げています。
内之浦宇宙空間観測所はもっと古く、1962年(昭和37年)にできました。
ロケットの父と言われた糸川英夫(いとかわひでお)教授が太平洋側を歩いて適地を探し最後に「ここにしよう」と決めたそうです。
ここでは科学観測ロケットや科学衛星の打ち上げを行っています。
ロケット打ち上げを間近でご覧になったことのある方いらっしゃいますか。
これは鹿児島県だからこそ可能なことです。
肝付町(内之浦と高山町が合併)はロケットとともにある町です。
自然の中に最先端の宇宙の基地があるという不思議な町で、町の人たちに支えられて観測実験や人工衛星、探査機の打ち上げが行われてきました。
種子島宇宙センターは国の経費で建設されましたが、内之浦の発射場は東京大学の航空宇宙科学研究所のためにあまり資金もなかったので、地元の方たちが建設当初から協力しました。
それでここには和気あいあいとした雰囲気があります。
最初のころは失敗もあって、失敗したらみんなで泣いて悔しがり、成功したらみんなで旗を振って喜びあった。
この場所にロケット基地があるということが住民の誇りなのです。
そういう場所が鹿児島県にあるということを多くの人々に知ってもらいたいということで3年前に『肝付宇宙協議会』という組織ができました。
私もそのメンバーとして全国各地で「鹿児島と内之浦と種子島と」の話をしながら活動の輪を広げる努力をしています。
昨年12月の打ち上げの時には鹿児島中央駅と鹿児島空港からバスを出して、発射場に一番近い見学場所まで行くツアーを実施しました。
鹿児島の観光もかねて誘致しました。
これからもいろいろな催しを企画する予定です。
皆さん、夜空を見たことがありますよね。
それはまさに宇宙を見ているのです。
近年、鹿児島大学でも人工衛星を造ったり支える地元の企業や、宇宙教育に先進的に取り組む学校もあります。
このような活動がますます県下に広がってほしいと願っています。
鹿児島県だからこそ、宇宙をテーマにした話題づくりや各種事業への取り組みが実を結ぶものと大いに期待しています。