ご講師:桃月庵 白酒 さん(落語家)
本日は、落語を聴く前に皆さんに笑う準備体操をしていただきました。
大きく口を開け、大きな声で笑っていただきましたが、悲しくなったという方はいらっしゃらないと思います。
昔から「笑っていると風邪をひかない」などとよく言われます。
笑いは人間のもつ自然治癒力(しぜんちゆりょく)が高まるのにも大変重要なのです。
私の名前は、桃月庵白酒(とうげつあん・はくしゅ)と申します。
非常に珍しい名前で世界で一人だけです。
落語家の名前はもともと洒落からきています。
一番最初に寄席興業を行った三笑亭可楽(さんしょうてい・からく)という師匠の名前にもいわれがあります。
さんしょう[山椒]は小粒で辛いということです。
三遊亭圓生(さんゆうてい・えんしょう)という名前も最初は山に遊ぶ、そして猿に生まれるという洒落から来ています。
この「桃月庵白酒」も桃の月、いわゆる桃の節句に庵で白酒を飲むことからついたのです。
私が3代目になりますが、初代は江戸時代の方、2代目は明治時代に亡くなられた方です。
その後100年以上誰も継がなかったのですが、恐れ多くて誰も継がなかったのか、あるいは蕎麦屋みたいな名前なので嫌がって継がなかったのか。
恐れ多かったからと認識していただきたいと思います。
・落語とお寺の深い関係
落語と仏教、そしてお寺とは昔から非常に深い関係があります。
お寺で行われるお説教の前に「お前座(まえざ)」で面白い話をして、多くの方々に聞きにきていただいたというのが落語の起源であるとも言われております。
安楽庵策伝(あんらくあん・さくでん)という有名なお坊さんは「醒睡笑い(しょうすいしょう)」という落語の前座の小話を集めた本も出版しておられます。
落語の世界にも符牒(ふちょう)というものがあり「曼荼羅(まんだら)」もそうです。
ただ噺家(はなしか)が座って喋るだけの落語では扇子と手ぬぐいを使い、いろんな物を演じ分け表現します。
扇子がそばを食べるときの箸になったり手ぬぐいが手紙や本や財布になったりします。
手ぬぐいは世間のいろんなものに変化することから曼荼羅と呼ばれるようになったと言われています。
落語は噺家が言葉としぐさだけで表現し、お客様の頭の中でイメージを展開していただくことで成り立つもので、小説ともよく似ています。
小説も読んで物語の世界を自分のイメージで構築して楽しむものです。
大きな違いは小説は自分のペースで楽しめますが、落語は噺家のペースについてきてもらう必要があるということです。
立川談志(たてかわ・だんし)師匠がよく「落語は人間の業の肯定」であると言っておりました。
ふつうなら贅沢したいために頑張って、一生懸命働くのが人間ですが、必ずしもそういう方ばかりではありません。
お酒をやめなければいけないと思っていてもどうしてもやめられない人もいます。
それなら、やめられないのなら少し数を減らせばいいじゃないかというのが落語の世界です。
人間の業に寛容な世界なのです。
落語にはよく駄目な人間が登場します。
そういう人たちも排除せず、すべてやさしく受け入れます。
懐が深く幅広い世界なのです。