かんにんな(後期)「許す」ことの大切さ

個人的なことですが「許す」ということの大切さを身をもって私に示してくれた巣河(すがわ)という友人がいます。

私のお寺は大阪市の街中にある光明寺といいますが、彼のお寺は岐阜県の郡上(ぐじょう)という山奥にある同名の寺でした。

龍谷大平安高校で一緒になり、苗字も菅(すが)と巣河(すがわ)ですので何かと近い存在で親交を深めました。

境遇も似ていて、二人とも大学を卒業してすぐに住職になりました。

卒業後4~5年経った頃、彼から電話があり「一度うちの寺に法話に来てほしい」と依頼されました。

私は法話なんてできないと断ったのですが、何度もしつこく頼むので、根負けして「行く」と言ってしまいました。

それで親鸞聖人の教えの本を本棚から引っ張りだして、レポートを3枚ほど作成しそれを袂に入れて出かけました。

会場は在家さんの広間で、大勢の人が集まっていて私は足がすくみました。

私は大勢の人の前で話をするのは初めてでしたので、話を始めたのはいいのですが、緊張と会場の熱気のせいで用意していたレポートもまったく読めずに内容が支離滅裂となりました。

1時間ほど話す予定でしたが、10分ほどで「もうだめだ」と思い、切り上げました。

職場放棄もいいところです。

控室に逃げ帰ったので当然会場がざわついていました。

「あれ、何?」「どうしたの」「えっ、今の何?」「もうおしまい?」などの声が聞こえました。

あの時の気持ちは穴があったら入りたい、どうしようかという思いでした。

そうしたら襖が開いて彼が入ってきました。

私は彼に悪いことをしてしまったと後悔の念しきりでしたが、彼はにこにこしながら、私の肩をぽんと叩いて「よかったぞ、お前の話」と言いました。

しかも帰る時に「また来てくれ」と言ったのです。

おだてに乗って何度か出かけて行きました。

それを繰り返しているうちに、法話の上達はともかくとして、いつのまにか人の前に立つことが平気になっていました。

彼は門徒さんたちから責められていたに違いありません。

しかし、そういうことを私に一言もいわずに、自分の胸に止め、私に対しては「よかったぞ」とだけ言ってくれたのです。

友人は22年前に早世しましたが、今思うと彼は仏さまだったのです。

「寛容」を身をもって示してくれたのです。

「かんにんな」「かんにんしてな」という大阪弁があります。

「かんにんな」「まあええやんか」は「寛恕(かんじょ)」寛やかに許していくという精神を表現している言葉です。

近年、芸能界で少々曲解されてしまっているところもありますが、大阪弁というのは本当は暖かくて柔らかみがあって人を傷つけない言葉です。

仏さまは、私の悪いところを全部ご存知の上で、少しも責めることをされない。

仏さまが私たちを許してくださるごとく、なるだけ他人を堪忍できるように、人を責めないで許せるようになりたいものです。